「大事なものも変わるんだろう」Dブレーン

もう6月になってしまいました。今月で今年も半分終わりってマジですか。

ちょっと早いですが、一旦後ろを振り返ってみるとなんだか、興味はあったけど結局そのまま何もせず腐らせてしまった好奇心の残骸みたいなものがたくさん目に入る気がします。ほんとに何もしなかったかどうかもはや覚えてないものもあるけど、そこに時間や気持ちを注ぐことが十分にできなかったなぁってものがたくさんあります。

まあ、最初から全部できるなんて思ってもいないし、できなくても少しでもそれに近づきたいって気持ちを大切にしたいものです。けど、やっぱり自分が少しでも憧れたり好きだなって思ったものを、わざとじゃないにしても無視してきたって思うとちょっと寂しい気持ちになるな。

またやってみればいいだけの話なんだけど、今は今でやりたいことがあるんだよな。難しいね。

僕は正直大抵のことはどうでもいいと思ってます。だからほとんどのことはテキトーで、生きていければいいやってことも多いです。でも、こだわりたいこと、大切にしたいこともあって、時間が経ったり何かを経験したりして、そういうものは少しずつ変わってきます。どうでもいいって思ってたことが大事だなって思ったり、すごく拘ってたことがやっぱりそんなのどうでもよかったなって思い直したり。

今大事にしているものもいつか大事じゃなくなってしまうんですかね。それはちょっと寂しいな。もしいつか大切にする気持ちがなくなっても、そう言う人生だって納得できるんでしょうか。いつか大事じゃなくなるかもしれないものを今も大切にしててもいいんでしょうか。

んー、わかりません。そんなことを言ったって、自分が好きなものを大事にしたいと思ったら、僕は真面目に向き合うより他に表現の方法がないし、それを今はやめられないだろうなと思います。その点自分は不器用なのか。辛いことがあると割と簡単に折れてしまうので、大して強い軸があるわけでもないですが。

自分に軸を持つことは大事だと思うし、これからも大事にしていきたいけど、全てを自分の中に求めるとうまくいかないなぁとも思ってきている。

この人のために何かしたいって思ったとき、この人たちともっとこんなことをしてみたいと思ったとき、自分の中に答えを探しに行ったって仕方がない。やっぱりそこで自分の意見を持っていることは大事だとは思うのだけど、一人で作っていくものではなくて一緒に作っていくものだってことを忘れてしまうと色々上手くいかないことが出てくる。

こういう話、僕は正直あんまり向き合わずに生きてきたなと思う。大抵そういう立ち回りが上手い人が支えてくれてる。小さい頃からそうだったと思う。そして、そういう人ってすごいよなって、自分にないものに遠くからあこがれを持ってきたわけです。まあ、同じようにできる必要もやろうとするつもりもないけど、少し近づいてみたいなって気持ち。

そういうわけで、ちゃんと自分の軸は持っていたいけど、いつでも変わっていけるくらいの柔軟性があるといいよなぁって。ちょっとした好みの変化です。多分、大事にしたいものが変わっていくことってそんなに恐れなくていいのかもしれないですね。別に短絡的に考えているわけでもなく、その時ほんとに大切だと思ってるものなら、好きなだけ大事にしたら良いんじゃないかなと。

深夜だと、脈絡のない文章をダラダラ書いてしまってよくない。結局毎度長文になってしまいます。明日も朝から練習なので頑張って起きます。おやすみなさい。

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