理性的に、本能を信じている。
優雅な休日と感じていたい。
予定は全て自分色に染めよう。
簡単に投げ出せない1分間。
その連続で充実の二文字を。
他人事ではない今日を。
かけがえのない今日こそ。
◇◇◇◇◇
揺らぎはない。
心に不安も迷いもない。
今日はそんな朝である。
抱えていた不安要素が一つ落ち着いたためだろう。
次の不安がやってくるまで
少なくとも待ちぼうけはするまい。
自由は自己中心ではない。
自由は関係性の中の肯定だ。
確立せよ。
不足していたツールを補え。
予感せよ。
これからの人生を導け。
◇◇◇◇◇
発想の転換という言葉に
少しの退屈を感じている。
モノの価値を高めるために
かっこいいデザインが溢れている。
内発的ではない、
流行に染まってしまっている。
その感覚が嫌いだ。
流行りものには要注意。
結局自分を見失っているから。
今年の色は自分で決めたい。
服装の流行は無視しないと。
資産運用も、貯金残高も。
いつまで経っても
私の時代が来ないではないか。
大衆の流れは市場発掘に向いているのかもしれないが
ブルーオーシャンのように大衆に見せ付けることもできる。
後者でありたい。
なんとなく作られたゲームをプレイするより
面白いストーリーを生み出すように。
前提というものは疑いたい。
これも流行になってきた時、
私は何を思うのだろうか。
さらに先の考え、
アンチ大衆であり続けるのだろう。
◇◇◇◇◇
同じでいたいと思わない。
違いこそ価値だと思う。
私の根底には
違いたいというアンチイズムがある。
大衆あってこその私。
相対的な私。
そんな中でも絶対的に信じるものが出てきた。
絶対的に信じたいものが、見えてきた。
旅する日々。
空間のデザイン。
美しいと感じる時間。
主観としての絶対性。
出会いの連続が
私を相対的にアンチさせ続けて
一番遠かったものが主観なのだろうか。
美しさへの感動。
そこに言葉は存在しない。
言葉で括ると色褪せる。
この感覚は間違ってはいないと知った。
感じたものに対して
言葉を無理に紡ぐと壊れてしまう。
それでも伝えたいことがあるならば、
音を奏で、リズムに揺れるのだろう。
私は理性的であるようで
誰よりも本能を信じているのかもしれない。
思考をやめたいのかもしれない。
正解も間違いもどうでもいい。
今を生きている感触を、言葉にせずに味わいたい。
今日も今日とて。