稲荷鬼王神社【東京・新宿区】
知る人ぞ知る「鎮守の森まちかど博物館」を併設する稲荷鬼王神社(いなりきおうじんじゃ)です。『アラモ』、『ターザンの大逆襲』、『女に強くなる工夫の数々』など、往年の映画マニア垂涎のポスターが並びます。
・・・ホンマかいな(笑)。
20.315も映画は好きですが、どの映画も知らないものばかりです。
AmazonPrimeで検索して星4つぐらい獲得していれば、観てもいいかも。
ちなみに、上記写真が「博物館」そのものであって、館があるわけではなくパネルでの展示が「鎮守の森まちかど博物館」なんです。
稲荷鬼王神社は、新宿歌舞伎町界隈のビル群の片隅に鎮座しています。
それほど古い神社ではありませんが、江戸時代に合祀を重ねて現在に至っています。
元々近くのお稲荷さんから勧請し、プラス熊野の鬼王権現を勧請、プラス恵比寿像を寄せ、やはり近くにあった浅間神社をプラスし、稲荷鬼王神社となっています。
神社のなりたちは、こうした合祀プラス合祀というものもたくさんあります。土地利用のためにはやむをえないことなのでしょう、多分。
厄を除き福を授ける鬼の王様の名を持つ全国で唯一つのお宮
(東京都神社庁HP)
それにしても「鬼王」と冠する由縁が気になります。紀州・熊野から鬼王権現を勧請とありますが、現状の熊野古道や熊野権現の説明に「鬼王」を示す記述はありません。昔々はあったのかもしれませんが、検索に検索を重ねてもヒットしないのです。これは、ひょっとすると、作り話である可能性も?と20.315は考えます。
伝承の中で唯一、「鬼王」を連想させるものがあります。
それは平将門です。彼は幼名を「鬼王丸」(きおうまる?)と呼ばれていました。当然ですが、関東エリアは平将門に由来する神社や故事、地名がたくさん残っています。神田明神や大手町の首塚などなどですね。
平将門を語るだけでも膨大な量になってしまうので、ここでははしょりますが、この新宿区(江戸期など昔は大久保といった)に、もしかしたら打ち首にされた将門の首が京から飛んできたのかもしれません。あるいは、彼の形見が奉納されたのかもしれません。
いずれも20.315の想像にすぎませんが・・・。
稲荷鬼王神社の周囲は上記写真のように、歌舞伎町が広がっています。
一説には、将門は関東を基盤にして、京のような栄華を誇る独立国をめざしたといいます。
鬼王丸・将門が、この歌舞伎町の繁栄を目の当たりにしたら、一体、どんなことを思ったでしょうか・・・。
【基礎データ】
■創建 天保2年(1831年)江戸時代 ※稲荷神社と鬼王神社を合祀した年
■祭神 宇賀能御魂命(うかのみたまのみこと)、鬼王権現(きおうごんげん)ほか
■住所 東京都新宿区歌舞伎町2-17-5
■HP なし
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