言語化しておきたい気づき
最近、自分のエゴに明確に気付くことがあったので、忘れないように記しておきたい。
フェリファブさんの動画を見たり、
本を読んだりするとエゴという言葉がよく出てくる。
生きている間に身につけた条件付きで普遍性のない価値観で物事を判断する「自分の中の自分」が「エゴ」だと私は解釈している。
エゴは自分の中にあるけど、もっと大きくて全体的な自分がそのエゴを包括している感じ。
で、何が起こったかというと、本当にたいしたことではないんだけど、日本から私と夫の共通の友人が遊びに来ていて、3人で牛肉麺を食べた時のことだ。
牛肉麺は柔らかく煮込まれた牛肉と牛すじが具として選べて、別々に選べるところが多いけど、そのお店は肉入りを選ぶとどちらも適当に入っている感じだった。
それで、注文した麺を受けとった夫が私たちに「お店の人が日本人は筋のところは苦手だから、牛すじが多めのこの一杯はあなたが食べなさいだって」と私たちに言った。
「俺のこと、台湾人だと思ったみたいだ」と。
その時の私の心の反応は、「何その自慢」という冷ややかで批判的なものだった。
なんにも言わなかったけど、心の中で「そんなこと自慢なんてするなんてやな奴だな」と思っていた。
そのままそんなことは忘れていたんだけど、夜になって、これってフェリファブさんがいつも言っている私のエゴが反応しただけなんじゃないか?と思った。
「自慢はいけない」って、私が生まれてから今までのどこかで身に付けたただの思い込みだ。
絶対的真実でもなんでもない。
なのに、私のエゴが「自慢は恥ずかしいこと、絶対ダメ!」と騒いで、私自身にも他人にも自慢を許してないだけなのでは?
このエゴに気が付いて、更におもしろいと思ったのが、夫の言動を自慢だと受け取ったのも明らかに自分の思い込みだということだった。
なぜなら、夫がどういう意図で「台湾人と思われたみたい」と言ったのか本当はわからないからだ。
単に店主に言われたままを私たちに伝えただけで、他意はなかったのかもしれない。
なのに私は「台湾人と思われる」つまり「中国語がネイティブ並だということ」つまり「自分は中国語が上手いと自慢している」と自分の中で思考を展開して、瞬時に勝手な結論を出していた。
自慢は恥ずかしい、してはいけないことっていう価値観自体もエゴの思い込みな上に、それを本当にしているかどうかもわからないのに
「私がやってはいけないことだと思い込んでいる自慢をした」
と勝手に判断されて、軽蔑される夫って...濡れ衣がすぎる。
友人がいなかったら、「何、それ自慢?」とか言ってけんかになっていたかもしれないし、夫の嫌なところを自分で勝手に増やす行為をしたんだな。
本当にごめん、夫。
今までもこれってもしかしてエゴかなと思った時もあったけど、今回は明確に、あーこれはエゴだなぁ、自分だろうと他人だろうと、自慢するかしないかなんて、今の私には意味ないなぁと、サラッと思えたのが、実はなんだか嬉しかった。
きっと他にも気づかないままエゴを発動させて、自分や他人を評価して、腹を立てたり、喜んだりしていることはいっぱいあるんだろうな。
フェリファブさんも言っているように、それもまた実は人生を味わっているということなんだろう。
でもエゴの価値観に本気で振り回されて疲れきってしまう前に、もっとこんなふうにサラッと流せるようになると人生楽だなぁと思う。