二条・壬生-ミステリーと新選組を求めて(京都遊覧記)
京都遊覧記、今回で4回目。今回私が訪れたのは二条城の周辺地域。二条城には以前立ち寄ったことがあるので、今回は立ち寄らなかった。だが、二条城周辺には二条城に負けず劣らずの魅力的な地が多くある。その地を旅した記録をここに記す。
いつものようにルートを紹介(赤丸がスタート地点、青丸がゴール地点)。二条城の堀を囲むようにして、二条・壬生を探索した。
1.不思議との遭遇-こぬか?達磨?
旅の最初は菅原院天満宮神社へ。道真縁の地はどこでも訪れててしまうあたり、道真のオタクなのかもしれない。この地は道真誕生の地と言われており、産湯の井戸というものも残っている。
前説はさておき、本題に入ろう。訪れたのは、京都御所から南西方向に進んだ住宅街の中に建っている薬師院(医徳山)だ。この地は「こぬか薬師」と呼ばれる不思議な伝説が残っている。
鎌倉時代の寛喜二年(1230)、疫病が全国に広がった時、住職の夢に薬師如来が現れて、「一切病苦の衆生、我が前に来たらば諸病ことごとく除くべきに、来ぬか、来ぬか」とのお告があり、皆病気治癒したので、これ以降、「こぬか薬師」呼ぶ。
出典 京都十二薬師霊場会公式ホームページ(原文ママ)
住宅街というありふれた景色の中にも、歴史が垣間見える。この不思議というものは、現代の私たちから見ると、あまりに非現実的だが、大事な意味を持っているのではないだろうか、と私は考えるのだ。
薬師院を後にして、次の目的地へと向かっていると、大きな石碑が残っていた。
大極殿跡、朝廷の正殿であった地だ。かつてはこの地帯に平安京のメインストリートである朱雀大路も通っていた。現在の千本通(最初の地図参照、二条駅の東側にある長い南北の通)が朱雀大路の通っていた地である。現在の京都御所はかつての地より随分東に移動してしまっていることが、この跡から推定される。その大極殿跡からさらに西に進んだ地に、達磨寺(法輪寺)がある。
名前から想像される通り、この地には………
???
!!!
たくさんの達磨がいるのだ。
本堂の中も達磨だらけ。2階では、第二次世界大戦での戦没者や映画界で業績を残した人たちを祀っている。昭和の映画スターの名前も多くあった。本堂には庭園もあり、それもまた綺麗だ。
歩き続けた足の疲れを、ここで癒す。秋にまた訪れたくなる景色だ。
2.不思議との遭遇-恵方社?アマビエ?
二条城に沿って、南へと下っていく。すると二条城の南側に小さな庭園のようなものが見えてくる。平安京の禁苑とされていた神泉苑だ。
かつては、現在の敷地の5倍ほどもあったと言われる敷地だが、江戸時代にこの地のすぐ北側にある二条城を築城する際に規模を大幅に縮小してしまった。現在では真言宗の寺院となっている。
古くから雨乞いの地だったため、数多くの僧が雨乞いをした記録が残っている。訪れた日も偶然、雨が降っており、何かの縁を感じた。この地にはその年の恵方に合わせて社の向きを変える恵方社というものがある。
日本でもここにしかないらしく、ユニークな社だ。ここで恵方巻を食べたら、向きを間違えずに食べられそうだ(不審者として警察を呼ばれそうだが)。神泉苑からさらに南へと下っていくと、武信(たけのぶ)稲荷神社へと辿り着いた。
入って前方に見えるのは、、、
疫病退散で今話題となっているアマビエ様だ。偶然訪れた地であるが、珍しいものを見た気分がして嬉しくなった。
この地は幕末の英雄坂本龍馬と妻お龍との逸話が残っている地でもある。幕末、刺客に狙われている龍馬はお龍と簡単に会うことができない。そんな中、龍馬は自らが生きている証として、この地の榎に「龍」の字を彫りつけたのだという。これにお龍が気づいたことで、2人は再び会うことが叶った。
この地にあった御神木を後世に残そうとしたのが、このチェーンソーアートだ。「龍」と彫られていた木から再び龍が現れ出た所に、神木から漂うオーラを感じる。
3.新選組の地へ
大宮の地まで下ると、新選組に縁のある建物が多く立ち並んでいる。まず最初に向かったのは、八木邸だ。八木邸は、新選組が最初に拠点として用いた屯所となっていた場所だ。よく下調べをしないまま、この地にやってきたため、八木邸の案内人の方に勧められ、八木邸のガイドを申し込んだ。恥ずかしながら、幕末については一般的な知識しか持ち合わせておらず、新選組ファンというわけでもない。それ故、このガイドはとてもためになるものだった。
案内人の話を聞いて、初めて知ったことなのだが、新選組は京都府民から嫌われていたらしい。この八木邸が一般公開され始めたのも、大河ドラマ『新選組!』の熱狂以降であるというから、新選組の人気というのは最近の傾向らしい。京都の人にとっては、新選組は柄の悪い人殺し集団のように思われていたらしい。世間のイメージと京都の人のイメージが違うことに衝撃を受けながらも、新選組という組の変遷について案内人が話を進める。芹沢鴨と近藤勇の抗争も有名だが、その決着をつけたのもこの八木邸であったようだ。宴会の後、眠りについた芹沢鴨らを近藤勇らが暗殺。その時にやりあったと言われる刀傷が、今でも八木邸に残っている。
新選組について、少し詳しくなった所で、そのすぐ隣にある壬生寺に向かう。新選組の前身となる壬生浪士の「壬生」である。ここには新選組隊士の墓があり、多くの新選組ファンが訪れることでも知られる。
新選組隊士たちの墓もあった。訪れている人は、若い女性が多かった。新選組人気を感じる。
新選組を感じられることのできる壬生、幕末を知らずとも歴史のロマンを感じられるこの地にぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。
4.展望
京都は近代都市に生まれ変わったが、大きな変化のない街並みも一部残っている。そのような地に、古くから残る不思議や奇妙な伝説が残っている。また、新選組のような幕末の人気者たちの姿を探し求めることのできる地もある。そのような古都・京都の良い点に気づけた今回の旅は、とても有意義なものであった。達磨寺にはまた秋にでも訪れたい。
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