ニーチェその4
前回の続き
《反時代的考察》より
引き続き
FOR BEGINNERS ニーチェ(竹田青嗣)からニーチェの考えを引用させてもらう
→ニーチェの出発点は
社会がある限り個人の力の差というものは根本的には避けられないという点にある
のにもかかわらず
民主主義な考え方が身についた私たちの常識的な見方は要するに人間の力を平均化すべきだという考え方をとるだろう
しかし、ニーチェはそういう考え方は逆立ちしているというのである
この平均化する考えは、弱い人間に強者になろうとする無理な欲望を与え、また強く高い人間の肯定的力をそいでしまう
問題なのは平均化ではなく
意識化である(本書48ページより引用)
この力の差をあるがままに認められないことで弱者が強者に抱く嫉妬、妬(ねた)み、嫉(そね)み、僻(ひが)みをルサンチマンとニーチェは呼んだ
このルサンチマンについては次回に詳しく考察するとして
ニーチェがいう強者とはどんな人物のことを指すのか、本書に書かれているので引用する
→ここで注意しておきたいのは、ニーチェの言う強者とは必ずしも現実上の力(権力)を持っている人間を意味しない、という点だ。ニーチェの強者とは、自分の力のありようをよく認識しつねにそれを肯定的に動かすことでルサンチマンや憎しみにとらわれない人間を意味している
ニーチェによれば、ヨーロッパの現実権力者はむしろ弱者のルサンチマンを組織化することに成功した人間にすぎず、彼らは真の意味で強者ではないのである(本書116ページより引用)
この強者について、日本の戦国武士のエピソードを加えて補足したい
新渡戸稲造『武士道』岬龍一郎の本の中で
→大阪攻めのとき家康の若き息子(頼宣)は先鋒に加えて欲しいと、懇願したがそれが許されずに後陣に配された
そして敵の城が陥落(かんらく)したと聞くや、若き頼宣は悔し涙を流した
老臣の一人(松平右衞門大夫正綱)が慰めようとして
『若君はまだお若いので、この後、何度も戦もありまする。お嘆きになることはありますまい』と言った
すると頼宣は険しい顔で老臣を睨みつけ
『やぁ、右衞門、頼宣が十四歳の時はもう二度と来ないのだ』と言ったという(新渡戸稲造『武士道』岬龍一郎より引用)
日本の古い歴史には現代っ子の我々からは信じられないエピソードがたくさんあるが、これもその一つだ
同じ釜の飯を食い、同じようにお上を慕い、民を思い、国を思い、自らの命よりも大事なもののために使命を全うする
このことに年齢は関係ない
忠義の大小をまだ若いからという理由で図られ、またまだ未来があるという親心でいなされた。今を生きることの重要性を叩きこまれていた若き武士には、この矛盾が自陣が勝利を収めたことによってさらに心を刳(えぐ)り傷つけたのだろう
そんな十四歳の武士と前髪気にしてオナニーに明け暮れている男子とを平均化する
世間に蔓延る『なんとなくみんな一緒じゃないとダメだよね』の空気
ないものはない
あるものはある
持って生まれた器が決定的に違うことを意識化させてあげないことは残酷だ
この二人の違い
そんなの見りゃわかる
みんなわかってるのに、見て見ぬ振りして、馬鹿な親や、教師が『あなたもやればできる』と
その親や、教師自身が言われたい言葉を課題の同一化を無知ゆえに子供に言い聞かせ続けることで、勘違いした自惚れの強い子供がそのまま大人になる
こいつは人のために動けるやつなのか、そうでないのか
そんな難しい話じゃない
今タイムスリップして
思春期の勘違いしてる自分を叱ってやりたいことが
伝えたいことがたくさんある
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