感覚過敏について ①
自分にはいくつかの感覚過敏があります。他にもあるのですが、今、とくに困っているのが皮膚の感覚過敏で、着るものにとても不自由しています。とくにダメなのがポリウレタンとウールで、ちくちくして耐えがたい。特に冬は着るものがない。
感覚過敏とは少し違うのですが(いや、同じなのかな?)、アレルギーは気のせいだ、嫌な思い出でもあるんじゃないの?みたいに世間でいわれていたころがありました。その後、学校給食で蕎麦アレルギーの子がアナフィラキシーショックで亡くなった事件を境にして、一気に「アレルギーってホントにあったんだ!」みたいな認識が、日本で広まったように記憶しています。(自分はアレルギー持ちでもあります。)
当時のアレルギーとおおむね同じような扱いを、もしかしたら感覚過敏は受けているのかもしれないと私は疑っているのですが、人の感覚に違いがあるのは当然で、そのなかで、少々、今の社会では生きづらいほどに精度のよいセンサーをもって生まれる人が一定数いたとしても、当然ではないでしょうか。
感覚過敏は、味覚とか視覚とか聴覚とか嗅覚とか、あるいは気圧などの変化とか、人によって反応するものが違います。自分の狭い交友関係のなかですが、持ってる人は、複数持ってる人が多かったです。ただ、私もそうだったのですが、本人は生まれた時からそれで生きてきたのでそれが普通(デフォルト)な状態で、マジョリティー的な感覚の中では「過敏」とされるということに気づくまでに時間がかかることもあると思います。本人にとってはそれがふつうです。でも、マジョリティーのふつうと違うので、少数者の都合にマジョリティがあわせてくれるわけもなく、苦しいままで生きています。なぜ苦しいのか認識していないと、本人もわからない、親もわからない、周囲もわからないみたいな状況になってしまい、ワガママだとか気のせいだとか我慢しろとかいわれたり怒られたり責められたりする。なかには感覚過敏は訓練や精神鍛錬で治るみたいなトンデモ系のことをいう識者(?)もいて、この上、くいものにされたりもする。
私の感覚過敏は複数あって、音や匂いにも反応します。視覚も少しあるのかな、と思いますが、他の感覚過敏に比べればまだ平均に近いほうだと思います。視力が悪いのが逆に幸いしているのかもしれません。
私のセンサー感度は、体調によっても少し違います。調子の悪い時はより耐え難い。まあ、調子のいい時も耐えられてるわけじゃなくて、我慢しているだけなんですが、その我慢が、体力や気力が落ちるとなかなかできない。
この前も、綿100%表示だからと買ってきたワイシャツを着たら、首の後ろが猛烈にかゆい。タグとってなかったっけ?と思って(タグをとらないと着れません)脱いでみたら、タグはきれいにとってある。え?っと思って表示を見直したけど、やっぱり綿100%って書いてある。綿は大丈夫じゃなかったっけ?と思って、もう一度着てみたんですが、やっぱり痒い。耐え難い。かきむしってあわててボタンまたぜんぶはずして、だああああっ!っとシャツを脱ぎ捨てて床にたたきつけて、くずおれて、泣きました。号泣。なんでこんな。
たぶん、糸だったのかな、と後で思いました。糸の素材に反応していたんだろうと。まあ、一事が万事、こんな感じです。生きづらい。
昨日、そのことを、ある集まりでいったら、もうお子さんが28歳で独立して遠方に住んでいるというお父さんが、もしかしたらうちの子もそうだったのかもしれない、小さいころに、すごくいらいらして泣くことが多かったと。だとしたら、わかってやれずに、かわいそうなことをした、とおっしゃっていました。
それがそうかどうかはわかりません。でも、そうだったとしたら、それは子どものせいでもないし、親のせいでもないんですよね。そういう体質だっていう、それだけなんです。そういうことって、あるんですよね。
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