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頑張らないで生きていく

相変わらず料理の仕事をしています。自営の仕事は完全に閉じ、もろもろの後始末もようやく終わり、ここまでほんとに長かった。やっと終わった。

この一年半くらい、ひたすら生き延びることだけ考えて頑張ってきたのですが、最近、むしろいろいろ頑張りすぎたのが私の問題の根源なんじゃないか、ということに気が付きました。頑張らないと生きてこられなかったのも事実ではあるものの、物心ついてから常に自分の力以上のことを自分に課して、自分を叱咤、罵倒しながら、頑張ればなんとかなる、いや、なんとかしなければいけない、と他の選択肢を自分に許してこなかった。そうやって無理をしてきたためか、本当にいろいろな困ったことが次から次へと自分に起きるのでした。

なんでこんなにいろんなことが自分に起きるんだろう、なんか不幸な星とかそういうやつ? 偶然? いや、でも世の中には戦争などで本当に理不尽な目にあっている人もいるわけで、それに比べれば自分の身に起きるもろもろなどまだまだではないか、甘ったれてはいけない、などと、ひとさまの不幸と比較して自分を慰める。そしてまた頑張る。

ようするに「頑張れ。そして不可能を可能にしろ。それができなければ生きていけない(生きている価値がない)」という、自分を脅迫して追い立てるパターンが、ものごころついてからの自分には、一貫してありました。それが私のもろもろ困ったことのモトに実はあったのではないかということが、ある方とお話をしていたなかで、カチッと音をたてるようにして、瞬間に腑に落ちたのでした。

……っと書くと、あくまでも頭の中で起きていることに過ぎないのでなんかふつうみたいですが、これは自分の人生としては、天と地がひっくりかえったような、天動説地動説くらいの、こっちが原因なのかあっち(運命とか天気とか周囲の組織や人たちとか)が原因なのか、という、視点が、完全にひっくりかえった瞬間でありました。

あ。こっちがメインだったんだ。自分の人生の中心は自分だったんだ、という、当たり前の感覚が、ようやく、自分のものになった。自分でいうのもなんですが、著しい精神的成長、成熟への分岐点であります。

おかげで、事業を終えたことも、本当によかったと、はじめて心から思えるようになりました。あのまま、頑張り続けていたら、地獄だった。

今はほかの厨房で労働者として働いています。料理の仕事は肉体労働だし体力的にも精神的にもきついことが多い。でも、人と一緒に仕事をしていくなかで、さまざまな学びや成長もあります。

最近、これからはあまり頑張らないで生きていきたい、と、少しずつ思えるようになってきました。









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