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令和のこども達に必要なもの

今日のnoteは完全に私語りです。
(1つ前に別の記事を書いていたのですが、保留にしています。そのため、なぜこのことを書き始めたのか不思議に思うかもしれませんが、よかったら読んでください。(ちょっと長いので目次をつけました)


昭和の小学生の私の居場所


現在は昭和と比べて、単身世帯の数が増え、人口減と同時にデジタルが発達したことで人とのコミュニケーションの方法が変わってきました。そして少子高齢化で街そのものの様子が変わったと感じます。

先日、豊中市に行くことがあり、岡町駅を利用しました。北側には岡町商店街があり活気を感じました。残念ながらこどもの姿はあまり見られませんでしたが、古い街の作りがまだ残っていてほっとしました。私がこどもの頃にも、家から自転車で15分ほどの距離に商店街がありました。岡町商店街を歩き、その頃の思い出がふとよみがえってきました。

私の家は線路沿いの住宅街にありました。マンションや古い家、ハイツや小さな町工場が混在しているような雑多な街でした。遊び場といえば、近くの公園やスーパーぐらいしかありませんでした。小学校高学年になると家の居心地が悪く、よくスーパーの本屋さんで立ち読みをしました。それはもう長時間も。図書館のように利用していたと思います。当然、店員さんに煙たがられ、追い出されるのですが、今度は隣りのペットショップに移動するのです。そこでもさんざん時間をつぶし、また追い出されるのでが、それでも十分に時間がつぶせたのです。

私には少ないながら、友達もいました。その子の家は商店街の近くで私の家からは少し離れていましたが、よく遊びに行きました。そこのお母さんが優しくて、なぜかいつも夜ご飯を食べさせてくれました。年上のお姉ちゃんから「サザンオールスターズ」を教えてもらい、友達と「いとしのエリー」を歌っていました。私は友達の家が大好きで、ことあるごとに行っていました。

私の両親は共働きでした。二人の帰宅は遅くありませんでしたが、余裕がなく忙しくしている様子でした。私が中学になると母親の体調が悪くなりました。また父親が働いていた会社の経営状況が悪化し、以前に増して、家の居心地が悪くなりました。

中学時代の居場所

中学で仲良くなった子達は似たような境遇の子達だった思います。私たちは、いつも母子家庭で祖母も一緒に暮らしている子の家に集まっていました。何かをしてもらった覚えはないのですが、いつ遊びに行っても怒られることはありません。安心できる隠れ家でした。

時々、ほかの子の家に行くのですが、親が不在のことも多かったです。あまり印象に残っていません。

でも、一つだけ覚えているのが、こどもだけで暮らしていた家がありました。ハイツの1室でほとんど何も家財道具がありませんでした。年上のお姉ちゃんがいました。高校生だったのか中学生だったのかはわかりません。制服を着ていました。化粧をしていて、怖い印象でした。そして、彼女の友達も同じようにつるんでいて、いつも大勢が集まっていました。お酒やたばこが入り混じり、そこに居るのが落ち着かなかったです。

考えてみるとこどもだけで暮らしているのはおかしな状況です。きっと最初は家族で暮らしていたのでしょう。何かの事情で親が帰ってこない日が多くて、私たちがこどものたまり場になっていたのだと思います。その家の子は男子だったこともあり、私はたまり場に行かなくなりました。中学卒業後にその子がどうしたのかもわかりません。

居心地のよい場所

私が育った大阪の下町は決して環境がよい場所ではありませんでした。地方出身の人に出会うと山や川の中で育ち、うらやましいと思ってきました。しかし、岡町商店街を歩いたときに、こどもの頃のことを思い出したのでした。

スーパーの本屋とペットショップ、友達のお母さんがいる家は私の居場所でした。必要以上にコミュニケーションをはかってくるわけではないけれど、自分が拒否されず、少し迎え入れてくれるような感じがありました。今では顔ははっきり思い出せないけれど、情景は思い浮かぶのです。そこには優しい大人がいたのです。

令和6年の今、地方でも街中でも、こども達の周りにそのような場所が少なくなっています。いいとか悪いとかの問題ではないのかもしれません。現実です。コロナ以降、家に行き来はほとんどなくなりました。家を出なくても、スマホやオンラインゲームで時間がつぶせるようになりました。こどもたちの居場所といえば、家の中。世界とつながれて友達が多様になった面もあります。魅力的ことは沢山あります。

それでも、気がかりです。

こども達に必要なもの

どこにも居場所がない子がひとりぼっち…。
そんなとき

顔色が悪いときに気づいてくれる人がいるのか。
おなかが空いたときにおやつを出してくれる人がいるのか。
笑いたいときに冗談を言ってくれる人がいるのか。
こども達が立ち読みできるお店があるのだろうか。
時間をつぶせるお店はあるのだろうか。
そんなことが気になります。

こども達が街を歩いていないので、大人もこどもの存在を忘れてしまっているかもしれません。こども達はいます。
こどもは学校と家だけでは成長できません。
温かい人との関わりの中で、学び、助けられて、情緒も発達します。
こどもが安心していける場所が増えて欲しい。
そう思うのです。

街にどんな機能が必要なのだろうかと考えます。
こども達が安心して大人になるために、どんなものやコト

ひとつの答えが0歳から利用できるフリースペース「たねとしずくライブラリ―」です。もっと充実させたいし、地域にこの思いを波及させたいと思います。

次は何をしようか。
考え続けています。一緒に考えてください。

これを読んでくれた子がいたら、たねとしずくライブラリ―に来てください。待っています。(すずめ)






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