最初に雪玉を転がしたのは...

タイトルの言葉は、私が施設に通っていた時、当時施設長だった仲間が『恐れ』についてのセッションで教えてくれた言葉です。
小さい雪玉を坂の上から転がすと、コロコロ転がっていくうちに周りの雪を巻き込んでどんどん巨大化していく。恐れもそれと同じで、最初はほんの小さなことだったのに、自分の妄想や相手とのやり取りのなかで、次第に手に負えない大きさになってしまう。でも…最初に雪玉を転がしたのは、あなた自身ではないですか?そんな説明だったと記憶している…。

上司とのやり取りの中で、自分の捨てるべきものがハッキリ見えてきたが、見えるのと捨てるのとは大違いで、モヤモヤの中で日々を過ごしていた。
最初は、捨てるべき物を捕まえた嬉しさに浮かれていたが、何故だろう、このタイトルのフレーズが頭に浮かんできたのだ。もう一度、振り返ってみよう…そう思った。

自分の正直な気持ちが言えない→伝えないまま我慢して従う→腹の中では怒っていて、自分ばかり損しているように感じる→こっそり仕返しする。
これが今回捕まえた、私の捨てるべき考えとそのパターンだった。
でも、相手に自分の気持ちを伝える時、なにも喧嘩するわけでは無いのだから、軽く、静かに言葉にすればよい。疑問だから聞きますよ(反抗ではありません)、教えてください、ってそんな感じで、穏やかに。なんでそれができないのか?分からないことを聞くのは、そんなに悪い事ではないはずなのに…。
答えは簡単だ。良い人で、良い部下でいたかったから。良い子、良い人、良い部下…面倒臭い人になりたくなかった(面倒臭いと嫌われる)からだ。好かれたかったのだ。
でも、好かれるためにとった(自分のために良かれと思って取った)行動で、その結果に腹を立て恨み、仕返しをして相手を傷つけ、さらに自分も嫌な気持ちになる。自分で放り投げたブーメランが自分の首を切ってないか?
そもそも、相手に好かれる必要があるのだろうか?ここは職場で、私がやるべきことは仕事であって、好かれることでも自分に丸をもらうことでもない。結果だけを見れば、全くいらんことをして、自分を痛めつけている(しかも相手の事も傷つけている)。私に損をさせているのは、相手ではない私自身じゃないか!
私が気持ちを言葉にできないのは、ただ自分の評価を下げたくないからだ。(相手が原因ではない)だから、言えない自分を捨てるのと一緒に(その前に)、『反抗せず従っていれば愛される』『黙っていた方が得なんだ』というこれらの考えも捨てるべきなんだ!
本音を言ったって、聞いてもらえないどころか怒られ無視された、だから言えない。それだけの気付きでは不十分だった。まだその奥に、『言わない方が愛される』とか、『言わなければ怒られない』など、今は役に立っていない私の考え、かつて生き延びるために使ってきた考えがあったのだ。しかも、この考えは役に立っていないどころか、今、まさにトラブルの原因になっているのだ。
雪玉を最初に投げているのは私だった。好かれたい、という小さな雪玉を転がして、最後、仕返しする程までに巨大化させてしまった。周りを巻き込み、傷つけながら…。
神様が私の頭の中にこの言葉を再び甦らせてくださって、私はまた、捨てるべき物を見つけた。導きを受けたのだから、次は実践だ!

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