親の棚卸し?!
ステップ4は、自分自身の棚卸しをするステップ。「他人の事はどうでもいいんだ、自分なんだよ。」昔、AAの仲間によくそう言われた。
親の棚卸しという言葉は、ACの文献を読み合わせるようになって、初めて耳にした。それを聞いた時は驚いた。親の棚卸し?なんで?戸惑いもした。
初めは親の棚卸しについて、私自身が親と同じになっている、と認めていればいいのだから必要ないのでは?と思っていた。でも、仲間は言った。「ただ、親の棚卸しを書くんだよ(自分と同じであると認めるとか認めないとかではなくて)、親そのものの棚卸しを…。」仲間が言うならやってみよう、と重い腰を上げた。
母は、私の妊娠をきっかけに仕事を辞めた。本当は仕事で海外に留学する予定だったらしいが、妊娠がわかって諦めた。留学だけでなく仕事も辞めた。私の妊娠が原因で、自分のキャリアを手放したのだ。優秀で、有言実行の人で、リーダーシップがある人が、主婦になり内職をしながら家計を支えた。
母とは絶縁状態だから、確かめることは出来ないが、やるせなさや悔しさがあったんじゃないかと想像する。だから、その直接の原因となった私を、自分が満足できるように育てたかったのではないか?だけど私は、母の自慢の娘にはなれなかった…。
棚卸しを書いていて、父と母が仲良く語り合う姿を見た記憶が無い事にも気づいた。私は今、夫としょっちゅうおしゃべりして笑い合っている。色んなことをたくさん話す。それがとても楽しいし、貴重な時間だ。大好きな時間だ。でも、私の父と母が語り合い、笑い合う姿の記憶が、私には無い。
夫と子育てを共有できず、毎日家事や育児に明け暮れて、寂しさや、やるせなさもあったのではないか?母は強い人であったが故に、弱音は吐けなかったのではないか?なんでも1人でできてしまうからこそ、苦しくもあったのではないか?
そんなことを、つらつらと考えていたら涙が出た。だただ悲しい気持ちになった。
あの母が、仕事を手放し、専業主婦となった。仕事を辞めてまで産んだ娘は、ドン臭くて全く話しにならない。大きなものを失い、それに代わるはずだと期待した娘は、全くダメだった。仕事を辞めなければよかった、そう後悔しても取り返しがつかない。分かっていても大きな後悔に襲われたのではないか。しかも私は毎日、母の目の前にいるのだ。目の前にいて、しかも自分の手を煩わせる。イライラし、腹を立て、やるせない気持ちをぶつけたくもなるだろう。
母は、自分の選択を正解にしたかったはずだ。誰だって自分の選んだ道が正解であるよう願う。自分のやりたい事を捨ててまで産んだ娘が、自分の思いに添う娘に育てば、自分の選択は正解だ。仕事を諦めた甲斐もあっただろう。でも、そうまでして産んで育てた娘が、出来が悪く、パッとせず、天気の悪い時に限っておねしょをし、母の理想とかけ離れていたら…。そう考えたら、なんだ分かる気がした。私を叩いたり、蹴飛ばしたり、ののしったり、無視したのが…。
棚卸しをするまでは、私は私の視点からしか過去を振り返ることができなかった。だけど棚卸しをしたら(お粗末な棚卸しではあったが)、少しだけ母に寄り添って、過去が見えるようになった気がした。
どんな風に見ても、過去が変わるわけではない。出来事は何一つ変わりはしない。だけど、私の捉え方は変えられる(気がする)。それは、恨みだけで見ていた時よりよっぽど、今の私に優しい見え方になった。