コロナで参っちまった話

まあ参りましたよ。でもなかなか感染しないなとも思ってましたよ。いやかかるなら営業時代だろと思っていました。当時在籍していた会社のゴミ幹部取締役が「他社が遠隔で営業している間に顔を出して契約を獲得するチャンスだ」などと旗を振ったせいで、当時体力と免疫力がある私達若手営業マンは、滅んだ街のような都会に放り出され、おそらく無症状感染者として街に菌をばら撒いて、生きたい人達を間接的に殺して来たんだと思います。科学がもっと発展していれば「感染経路不明」もなく、誰の菌がいつ誰の体内に入ったかとかも分かるようになってゆくのではないでしょうか。でもそうやって多分私が都内に菌をばら撒いた罪が、今感染しかも重症化で危うく声帯を失いそうになるまでに陥ったので、もうこれでチャラにしてくださいアーメン。コロナで亡くなった方々、謹んで御冥福をお祈りします。


ところで旗を振った本人は、まあ取締役という立場の者は大体そうなのでしょうけれども、出社はするけど特に何をしているか分かりませんでした。コロナ禍が始まってから毎日、他社の創業者が書いた啓発本をもとに、彼のイカれた啓発長文またの名を洗脳文章を、事務所内の社員に送りつけてきていました。意識が高いのか、昇進意欲があるのか洗脳されてるのかのような社員は、それに対して「自分も仕事でこういう経験をした時、あなたのこの考えをいつも大事にしてどうこうと行動しています」みたいな返事をわざと全員返信で送り付けてきたりして、もうそんなの読んでる間にお客さんや業者からはどんどんメールや電話がくるので、勘弁して欲しかったです。でもあの本に書いてある内容自体はわりかし人生の為になる事が多かったので、本を紹介してくれた事だけは感謝します。コロナ禍になって暇になったのか、啓発本の抜粋と共にヤツの考えをどうこう書かれたメールは、なんか言われた時に困るので流し読みだけしていました。抜粋部分はもちろんコピペなので理解できるし勉強にはなっていましたが、ヤツのお語り部分は内容が極端過ぎて、既に適応障害であっただろう私には無理難題な内容でした。っつうかテメーも呑気に窓際座ってねえで営業行ってみろよ。どれだけ我が社が頭おかしい事をしているか街を見れば一発で分かるよ。特に2020年春なんかほとんどの人間が、人の命を守るために科学者と国の指示に従って外出を控えていたのに、何が「当たり前を変えるべき」だよ。今そのてめえが考えている当たり前は戦後くらいで多分止まってんだよ。時代は昭和後期と平成で既に変化し続けて、令和になってさらに変わった瞬間なんだよ一旦従えよカッコつけなくていいから。逆にクソだせえよ。てめえの凝り固まったプライドに未来ある若手の命まで差し出すやつだとは思わなかったよ。でいうかそもそも社内システム自体が昭和で止まってる時点で限度が知れてんのに、社員が死ぬリスクを背負ってまで業績上げたいのかよ。自分は窓際に座りながら?調子乗るのもいい加減にしろよ。営業にも出れないんなら契約書にハンコ押すとか郵便物の処理するとかアナログ会社なんだから手伝える事なんか山ほどあんだろ。毎日暇そうに偉そうな文章送り付けて来るのはいいけど自分が実際にやってること分かってそれやってんの?視野が狭いのは誰だよって話だよクソが。偉いのは座ってりゃいいってのかよ。え?なんか言ってみろよ。なあ。ストライキもざまあねえぜ。自分の胸に手を当てて考えてみろよ。いっつも辞めたやつの悪口言って、あいつは分かっていなかっただとか裏切りやがったとか散々悪口ぶっこいて辞めたやつのせいにして、いつも自分に非があるテイで物事を考えなさいと言っているのは誰ですか?まあもういい加減気付いてると思うけど大人のプライドで譲れないのでしょうね。かわいそうにねえ。社員が死んだら死んだでどうせ感染経路不明にしてうまく会社の非を逃れようとしてたんでしょうねえ。あなたがどう死のうと勝手ですが死後は是非私と違う世界にお行きになってください。私はばーちゃんと笑点を観ますので邪魔しないでください。


いつまで辞めた会社の愚痴を言えば気が済むのかは分かりませんが、私を大好きな部長が私を飲みに誘ってくれる限り、この話は尽きないと思います。先日も早く干されろ早く干されろと、まだ干されないの?金魚の糞も健在なの?きんも〜、とひたすらぶっ放してました。要らない罵声能力が向上するばかりです。ヤンキーでも目指しているのでしょうか。いや今私が目指しているのは障害者です。元気な障害者ですね、とても皮肉です。
ちなみに前のブログアプリ、会社の味方側の人間にバレました。前のブログにはこの存在をリンクさせていないのでなんとか逃げたつもりです。ヒー怖い。でももう私はインターネットでも現実世界でも、あなた達の知る場所にはどこにも居ません。残念でした。ピュ〜(逃げ足の音)


話を戻します。コロナマジで辛すぎました。もちろん精神病とはベクトルの違いすぎる辛さでした。そしてタイミングが悪すぎました。
実家に帰る日に合わせて引っ越しの荷作りを終わらせようと日用品まで詰めていたところで、なんかダルいなと感じました。年末年始だし休みボケかなと思いましたが、今思わなくても無職の私は年中有給なので盆暮もへったくれもありません。でももう1人暮らしの部屋は荷物を全て詰めてしまったし、山積みにしたはずの段ボールにも意外と床面積を占領され生活スペースがなくなり、実家に帰るしか選択肢が無くなりました。すみません。
もしかしたらコロナかも〜と言いながら実家に帰り、翌々日くらいには完全に声が出なくなりました。熱も39度くらいまで上がりました。平熱が35度後半の私にはかなりきついです。上がり切ってからは熱くてだるいだけですけど、体温上昇期間がもう寒気がヤヴァ過ぎます。言葉にできません。いやその時思っていたことは多分「なんでもいいから殺してくれ」です。私は身体に継続的な痛みや異常などがあるといつもこう思います。生理痛の激痛時や、低気圧頭痛の時とかもです。本当に殺して欲しい時ばっかです。そしていつも他人任せです。そしてなぜか今生きています。はて。

同じくらいしんどすぎたのが咳です。これはおそらく喫煙者だからというのもあると思いますが、最初は軽度インフルとかただの咳風邪みたいな、普通よりちょっとしんどそうな咳みたいなもんでしたが、だんだんと地獄に陥れられてゆくのです。痛い。とにかく痛いです。痛すぎ。マジで。ホンマに痛え。
まずツバすら飲み込むのに一苦労です。喉に何かを通すのが痛いのです。そしてしゃべれません。咳のしすぎで声帯がぶっ壊れて声が出ない上に、「病院行かせてくれ」の一言を言うのにも空気を喉に通さなければいけません。それすらも痛い。そして届かない90歳くらいのおばあちゃんの声で言葉を発するも、伝わる訳がありません。ほんでコロナ疑惑なもんだから家族たちは私に近づきたくないし、私も発声をしたくないのでLINEで筆談をする始末です。
地獄の果ての咳はマジで早く殺してくんねえかと毎度思っていました。私は心因性嘔吐を発症済なので嘔吐には慣れていましたが、あんなのは可愛いもんです。しかも調子がいい時は吐いたらスッキリしますから(心因性嘔吐を発症している時点で調子が良くない事に気づいて欲しいもんですね)。ですがコロナの咳は、このまま嘔吐するんじゃないかと思わせんばかりのオエオエ咳で、ハタから見てても聞いてても多分相当グロかったと思います。そのオエオエ咳は毎度オエする度に、喉の手前の粘膜辺りから多分気管の隅々なのか肺まで痛いのか、食道も痛いのか、もうどの内臓が痛いのか分からないくらい、とにかくアバラ骨付近の内臓がガッシャンゴッソンと爆破されていくのです。1咳1爆破なので「ゲホゲホ」だと2爆破起きます。マジです。超痛い。もう無理。勘弁して。咳はしたくないのにタンがたまるので、それを身体が外に出す為に喉まで追いやり、そしてオエ咳をする始末です。うつになってからろくに自律神経働いてなかったくせに、こういう時はしっかり異物排出の年末大掃除をするこの身体、憎たらしすぎます。

以前、喘息持ちの友人から「痰が出過ぎて日常生活ができなくなった」という話を聞きました。喘息や病気など原因は不明だったそうで、数々の病院をハシゴしたそうで大変疲れたそうです。結局物理的対処に行き着いたらしく、体内に溜まった痰を、通院することで機械かなんかで出しまくる治療(?)を繰り返し行い、体内の痰を極限まで減らして、なんとか日常生活を送れるまでには咳を軽減出来たそうです。
なので私もコロナじゃなくてそういうのだったらいいなと思い、オエ咳をする度に大量にてでくるタンをティッシュに包んで捨てていました。というかそのタンすらも飲み込むと激痛だし、オエ咳が発症する度に出てくるタンと鼻水を一括清算したかったので、1枚目で口から出したタンをティッシュに包み、さらにもう1枚では、後追いで鼻から出でくる、おそらく痛みによる涙、鼻水、タンの残骸、その他を、鼻からまとめてこれでもかというくらい最後まで出してやっていました。お陰様で箱ティッシュは約5箱使用しました。非SDGsでごめんなさい。

もう起きてても仕方ないので、適当に雑炊やゼリーをオエオエしながら胃に入れた後、風邪薬と一緒にいつもの抗うつ剤と眠剤2錠を体内にぶち込んで、もう死んでやると思いながら寝込むのですが、全く私の体内ははたらく細胞ブラック状態で、寝ててもタンを喉まで送ってくれます。はい咳の時間ですよーと強制起床させられます。もうウザすぎて何回起きたか数える気にもなれません。でも起きる度にしっかりタンと鼻水セットを一括清算してまた布団に戻ります。ちゃんと起こされるのがマジでムカつきます。眠剤いつも1錠なのに。2錠飲んだのに。くそが。ちなみに処方内量です。可愛いでしょ。飯はギリ味はしたので味覚症状はなかったです。

検査キットでは陰性でしたが、症状が酷くなる一方だったので、元日に緊急外来に連れて行ってもらいました。気合いでは治りませんでした。緊急なのに4時間以上待たされました。昔地方に住んでいた頃、夜に急激な発熱があった時に、近くの24時間受付の緊急外来に飛び込んだ時は、おそらく30分も待たされなかった気がするのに、コロナのせいかお正月のせいかとにかくとっても人手不足そうでした。とにかくずっとアタシ待〜ってました。いつまでも待〜つ〜わ、ってました。シャレにならないくらい待たされてさすがにお腹が空いてきたので、病院の隣にコンビニを発見していたので受付に、出ない声で「ガイシュツシマス」「どれくらいで戻られますか」「ジュップンクライデス」と自分の名前も申してコンビニに行き、なんとか喉を通過してくれそうな飯をゲットし、多分300席くらいはありそうな、待ち人も5〜6人くらいしか居ない広い待合室の隅っこで険しい顔をしながら、4個入りのミニたまご蒸しパンを頑張って食べました。お腹が空いてたし胃はグルグル鳴ってたはずなのに、2つも食べ切れずに疲れ果てました。腹が減った  <  喉が痛い、でした。ちなみにコンビニ店員さんは私の頷きだけで袋がいるとかレシートがどうとか判断してくれて助かりました。(こいつ多分持ってるな…)と思われたと思います。パーテーションとマスクで許してください。買った物以外触ってませんので許してちょんまげ。

当初3時間待ちと言われていたのに余裕で3時間を超えそうで、まあ家にいても寝てるだけだしどうでもいいやもうとにかくしんどいという気持ちが勝って、外にいるという潜在的ストレスから解放されるために、靴を脱いで座席に横になりました。椅子は冷たいしアルコール臭いしで全然寝れる訳ありませんが、ピンクの髪で赤いメガネ、黒キャップを気持ちの上で枕にして、ガバガバのパーカーとダボダボのジーンズにジージャンで、赤いマフラーなのかブランケットなのかを雑に掛け布団にして、スニーカーも脱ぎ散らかしている様は、他人からしたらバンドマンかダンサーみたいな人がくたばっているように見えたと思います。しかも枕元には箱ティッシュを置いて、グロい咳の音を広い待合室に響かせ鼻水を永遠に垂らしまくっています。いやそりゃねバンドマンも人間なのでくたばりますよ。いいえ私は夢もへったくれもない無職です。人を見かけで判断しないでください。これでも元バリキャリです。いや多分誰も何も思ってないので大丈夫かと。被害妄想もその辺にしといてください我。

やっと呼ばれたと思ったら個室でまた30分くらい待たされ、本当にめちゃくちゃ超軽い問診を受けて、PCR検査と点滴をしましょうと別室に移され、この部屋はナースコールがないので何かあったら代表電話にかけてくださいと言われ、途中薬を持ってきてくれたと思ったら、点滴終わったら今日はもうおしまいなのでお声がけくださいと言われ、点滴が終わったので電話したら「電話が込み合っているのでお掛け直し下さい」と強制終了され、私の貴重な血液が点滴のストッパーまで逆流し切ってしばらくしてから、やっとナースさんなる者が来てくれたので無言で「外してくれ、血がなくなる」と腕を差し伸べたのに、今外すので待っててくださいねと言われ計30分くらい私の血液は逆流したままで、この血返せよと思いながらやっと解放され、受付で会計時に、常備薬の抗うつ剤などと併用できる薬か確認してと言ったらはたまた10分くらい待たされ、大丈夫みたいですという返事でなんだかもうどうでも良くなり、疲れ切って帰路に至りその晩また眠剤2錠飲んでもオエ咳に叩き起こされるという始末でした。
薬は無事効きました。2日分処方され、飲み切った時点では、咳をしても痛みは喉までに治まっていました。その後は市販のハイパーウルトラ強そうなパッケージの、喉の痛みと咳用の薬を服用し、なんとかコロナウイルスから脱出しました。
コロナウイルスが流行って3年目を迎えようとしているのに、まだコロナ用の薬がないとは、科学とは難しいものなのでしょうか。いやウイルスが変異しまくるから意味ないのか。あまり詳しく調べていないので分かりませんが。


4〜5時間くたばってた待合室には何人かのお子さんがいました。その中のひとりの子はずっと大声を、でも言葉は喋れなそうな感じの、でも言語は聞き取れない、でも喋れない年齢にしては桁違いな力強い声を出していました。親御さんはおそらく、私のような他の患者さんの目を気にしてしばらくその子どもをベビーカーに乗せて病院の外に出ていましたが、それでもだんだんエスカレートしていって、ガラス越しでも余裕で聞こえるくらい、もうマンモスがいるのかのような力強い声でグワグワガーガーと叫んでいるのです。私が子供の泣き声を苦手としているのは以前何度か書きましたが、その子に対しても最初は、うるさいししんどいから外出てようかなと思っていました。ですがあまりにも言葉を発さずに叫び続けるので、この子は自閉症だと勝手に妄想して、何かに襲われる恐怖を感じているんだろうなと思うようにして乗り切りました。
いや私が乗り切るのは勝手です。心配なのは親御さんです。おそらくこの雄叫びは長く続くなと判断されたのであろう親御さんたちは、人手不足の時間がかかる受付が終わるや否や、そそくさと外に出て行きました。おそらく外でもつきっきりだったと思います。あれは私だったら完全にノイローゼになります。いくら可愛くても、愛していても、あれだけ長時間叫ばれたもんならこちらこそ発狂して、その場で首を絞めてしまうかも知れません。とか思うと本当に子供は欲しくないです。いつか立派な大人になるかも知れなくても、大人しくていい子でも、そんなの産んで育ててみなきゃ分からないので子供はいりません。ということを待合室で再確認しました。

もちろん大人しいお子さんもいました。その親御さんたちは、めちゃくちゃ空いててだだっ広い待合室なのに、なぜか柄の悪い私の横に座ってきて謎でした(しかも私が寝てる足側)。私のピンク色の髪が珍しかったのか、プリキュアみたいだったのか分かりませんが、しばらくその子に見つめられました。目つきは眼鏡で誤魔化したつもりですが、というかしんどいので他人に気遣っている場合ではなかったので、早く持ってきてもらった絵本を読んでもらいなさいと私は再びくたばり続けました。


あとタバコです。調べたら、多分マジっぽい「喫煙者はコロナ感染により重症化し死亡に至るリスクが高い」と言う論文がいくつも出てきました。あと紙より電子の方がヤバいみたいです。どっかの市のホームページも検索に引っかかりましたがそれは「コロナ禍を機に禁煙をしよう!」みたいなやつだったので無視しました。お言葉ですが喫煙者が減ったら納税額も減りますがそちらの予算案はいかがでごいますでしょうか市長。
そうそれで、でも吸いたいんですよ、でも喉が痛そうでね怖くて吸えないんですよ。でも吸いたい。そして衰退していくんです。今日も冷えますね。いや違うんですよ。一旦勇気を出して吸ってみました。どこに勇気使ってんねんはナシでお願いします。味がしませんし、痛い。痛っってええ。まあ当たり前です。そっと電源を落としました。

喫煙者にとってワクチンは多分ほとんど効果がない気がします。ワクチンを受ける=お国の指示に従う、とか、反日ではないです、とか、「コロナはただの風邪でマスクなんか不要です」みたいなへんな宗教に属していません、とかの意思表示なような気がします。ワクチンが原因で亡くなる方も数名いてニュースで取り上げられていますが、ワクチンで死ぬよりも交通事故で死ぬ方が多分多いですし、その辺はそんなに敏感にならなくてもと思ってます。散々言いますが特に私は希死念慮がありますので死ぬ時に死にたいです。今の時代、コロナで死ぬかワクチンで死ぬかの二択が目立っているようにも見えます。でもどちらかと言うと、コロナか交通事故かの二択が数字的にも意識的にもいいかなと。あくまでも個人的な意見ですがいかがでしょうか。交通事故は安全運転を意識したり歩行者も左右確認したりして防げますし、コロナは国から言われている予防策をとって人混みを避けたりすれば防げます。でもワクチンはぶっちゃけガチャですからどうしようも出来ませんね。ちなみに私はおそらくイルミネーションの人混みに飛び込んでいてしまったのでそこで頂きました。ご馳走様でした。でもこれで晴れてミーハーです。コロナマジつれーよなー、と語れます。


話を逸らしますが私が毛嫌いしている税金について、たばこ税というものがありますね。例えばの話でまた妄想になるのですが、日本が煙草単価というか税金を爆上げして行っている中でも、日本人全員が喫煙を辞めるのは現実的に無理なようなので、なんらかのパイプが出来て消費者らが皆ネットか何かで海外から煙草を買えるようになったらどうなるのでしょうか。しかも日本で買うより安い設定です。それか、電子タバコよりもっと健康に害のない安価かつ吸いごたえのある商品が、アメリカとかで開発されて世界でバカ売れしたらどうなるのでしょう。どのみちまず日本にたばこ税が未納となります。日本はそれで大丈夫なのでしょうか。肝心な割合までは分かりませんが、多分年間1兆円くらいの税金をたばこ税が占めていたと思います。健康のために禁煙しようとか言って喫煙所を減らして、喫煙者に肩身狭い思いをさせている割に、ちゃっかり税金はぶんだくっていて、頭大丈夫でしょうか。ていうか有害物質云々を棚に上げて言いますが、納税者の肩身を狭くして、いじめにも程があんじゃないのか。そもそもなんで百害と一利しかないたばこにそんだけ国の税金を依存させているのか意味が分からない。昔は格好品だったからかなあ。たばこを吸う姿は格好が良いですからね。映画の名シーンにも使われてましたよね。今じゃ映画俳優とかがたばこを吸う演出などはほとんど見られなくなりましたね。ちなみに喫煙者の私から言わせていただくと、たばこの百害は皆さんご存知の通りで、一利は休憩や気持ちのスイッチの切り替えに便利です。あとは食後の一服がたまりませんね。以上です。私は喫煙も禁煙も誰にもおすすめなどはしませんが、自分の事は好きにさせてください。金がないならたばこを辞めてみては?などのお言葉は結構です。ありがとうございます。



病院から帰って引き続き寝込んでいたところ、翌々日くらいに病院から陽性結果の連絡がきました。おめでとうございます。熱が上がったり下がったりなのでなかなか風呂に入れません。
実家に帰ってきた当日翌日くらいまでは咳だけで熱はなかったので、久しぶりに追い焚き機能付きの風呂に入れさせていただいたのですが、日頃どれだけ自分の体を冷やしているのか痛感しました。42度の湯船が、熱過ぎてなかなか入れませんでした。しばらくしたら気持ち良くなって来て、そのまま30分くらいぽけーっとさせてもらっていました。とても気持ちよかったです。追い焚き機能は神器です。私の賃貸では寒すぎて風呂場に暖房を付けて45度で湯張りをしても、身体を洗って入る頃にはほぼぬるくて寒気がして長湯出来ませんでした。私しか入らないし洗濯機も小さくて湯船の再利用をしないからと思い、お湯が張れた瞬間に秒速で全裸になりダイブしても、20分もせずとも寒気がしてきます。風呂に浸かって寒くなるなんて初体験です。とほほです。追い焚き機能欲しいです。次の物件にも追い焚き機能は付いてないです。とほほです。

そして誠に申し訳ないのが家族に病原菌を移しました。父は私を賃貸〜実家、病院の送り迎えをしてくれていたので一番危ないかなと思っていたのですが、今の所未発症です。多分濃厚接触者止まりです。母にはおそらく洗濯物や食器の洗い物などで移しました。弟は、私と弟の部屋が平成の襖みたいな、完全に密閉しないタイプのパーテーションで分けられていて、夜に片方が灯りをつけていると余裕で光り漏れするくらいの感じでスカスカなのと、私の部屋の窓の配置が悪く、換気がうまくされなかったため、しっかり私の部屋の空気が隣に蔓延したっぽいです。ほとんど話しかけてこない弟が、治りかけの私に「のどヌールはあるか」と聞いてくるくらいにはやばいみたいでした。その時彼は震えながら自室のストーブととても仲良くしていました。極寒です本当に。シャレになりません。
もう少し早く発症してくれていれば荷造り中断していたのでしょうけれども、タラレバです。本当マジごめんふたりとも。


やっと治ってきて奇跡的に声帯も回復して喋れる喜びを噛み締めていましたが、隣がダウンしているためネットのお友達と喋ることが出来ません。私はひとりでも対人でも、とにかく喋っていないと頭がおかしくなってしまう病気なので、無事頭がおかしくなりました。ずっっっとゴニョゴニョと何か小言を言いながらスーツケースの中身を整理したり、整理タンスの中身をゴソゴソしたりしていました。なんの意味もありません。あとこれは毎度帰省する度にやっているキモい習慣なのですが、奥から学生時代の部活の引退時に頂いた色紙を掘り出して読み返し、承認欲求を満たします。今回我ながら特にキモキモしく見返していました。どんな感じかはご想像にお任せします。おかずにはしていませんのでご安心ください。あともうひとつする事が、高校受験時代の模試の結果を見返して「あたしやっぱり理系なのね〜」と理系科目の優れた偏差値だけを気持ち良く見返して、どこどこの高校が安全圏なの優秀すぎ〜などとニヤニヤします。文系科目は極端に壊滅的なので都合良く視界に入れません。もう勉強した内容は何も覚えていませんが、勉強しかしていなかった事だけは覚えています。ガリ勉でした。もう今は無理です。
あと今回は就活時代のウィークリー手帳が出て来ました。部活を引退した次の日からしっかり真面目に就職活動をしていました。合同企業説明会にも沢山参加し、単発インターンも行きまくり、説明会や面接漬けの毎日でした。私が所属していた大学の研究室はゆるめだったので、さらにゆるめて内定をもらってから研究に本腰を入れていたみたいです。でも研究内容が正直あまり面白くなくて、ぶっちゃけギリ卒業出来るか出来ないかくらいの内容の論文しか書けていませんでしたが。
そして内定を頂いて就活を終えた後、セミナーを受けさせて頂いていた会社から、内定者の声としてインタビューまで受ける始末となりました。その記事は今でも世に残っていました。それらを読んだりして、この子は優秀だな〜と感慨にふけっていました。どうしてこんな落ちこぼれたのでしょう。頑張りすぎたからです。散々書いたのでここでは割愛します。



コロナ様のお陰様で引っ越しも遅延しました。各業者様に連絡して、もう面倒なのでドス鼻声で色々事情を話したら、解約でも新規登録でもお構いなく皆様口を揃えて「お大事になさってください」と丁寧なお言葉を頂戴いたしました。人の温もりを感じてしまいました。まだここに愚痴は書いていないですが、唯一、人選マジでミスったなと思っていたエイブルの営業マンからは何も労られませんでした。お前最後までしょうもないな。マジで病原菌移したろか。エイブルの愚痴は気が向いたら書きます。


だいぶ回復して来て、外出禁止期間を終了してから賃貸の最終荷造りも終わらせたり、もう結構イケんじゃねと余裕をかましている病み上がり時期にウザかったのが、夜寝床についてさあ寝ようとすると、水っぱなとタンの残骸が私の入眠を邪魔して来るのです。マジで邪魔。しかも実家のベッドは、子供は誰もが憧れた二段ベッドを解体してある為に、上半身を起こしてベッドの柵を乗り越えないとティッシュとゴミ箱に行き着けません。完璧主義なのか、もしかしたら強迫性障害も持ちあわせているのか分かりませんが、ゴミ箱に入らず床に落としたティッシュが、熱を持っているかも知れない充電コードに触れて火災が起きたら怖いという気持ちで、絶対にティッシュはゴミ箱にインしないと寝れません。そして冬なのと寒がりなので、何枚も重ねたずっしりとした掛け布団から身体半分を脱出させないといけません。でもぶり返すのは嫌なので水っぱなは飲み込みたくありません。そして鼻をかんだ後に再度鼻の下にメンソレータムのリップクリームを塗り直して、寝るフォーメーションに戻ります。はあ疲れる。憧れていた二段ベッドがこんなに利便性に欠けていたとは思いませんでした。いやでも私は長女ですので、二段ベッド時代はハシゴを使って上で寝かせていただいておりました。最高でした。お値段以上でした。
あとはコロナ中、鼻をかみまくってましたが意外と中耳炎にはならなかったことが奇跡的にストレスから逃れられて助かりました。中耳炎は地味にイライラさせられますからね。でも鼻の中は無事大負傷していたみたいで、でもほぼ終盤くらいからでしたが鼻をかむ度に切れた血が結構な量含まれておりました。鼻血ではなさそうで、単純に鼻の中が切れまくって出血していました。ほんの少しじわじわと痛かったですが、それほど苦ではありませんでした。
ちなみに誰にも信じてもらえませんが、生まれてこのかた鼻血を経験した事がございません。小学生の頃は、よく授業中にクラスメイトが鼻血を発生させ、みんなで上を向けだのいや下だよだのと騒いでいました。あんなに血を一気に放出したら今の私では貧血で倒れそうです。



遅延させた引越しも、てんやわんやしましたし無理くりな部分もありますが、無事段取りを固められました。あとは鼻水を垂らしながら順を追って進めていくだけです。先のことは引っ越して片付けが完了してから考えようと思います。読んで下さっている皆さん、どうぞ陰ながらの応援をよろしくお願い致します。

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