
2023年度 振り返り
気がつけば年度末。
時間の経過があっという間すぎて何となく寂しいです。
私は春があまり好きではない、というか変化に対応するのが苦手なので、この時期になると1人で穴の奥深くに引き篭もりたくなります。
そんな億劫な気持ちを少しでも和らげるために、とりあえず今年度1年分過去を振り返ろうということで、このnoteを書き始めました。
見える世界が180°変わった2023年度は私にとって100%人生の分岐点です。
特に何の面白味もないnoteになりそうな予感がしますので、本当に暇!!という方のみ、この先を読み進めていただければと思います。
1月
普通に受験生でした。
起きてから寝るまで勉強しかしていませんでした(今では信じられない)。
共通テストはヌルッとこなし、なんとか目標最低点に届きました。
が、余裕で第一志望校に出願できる点ではなかったので、安全校に下げるかこのまま突っ切るか、めちゃくちゃ悩んだことを覚えています。
当時の私は非常に尖っていたので「大は小を兼ねる」精神で、そのまま突っ切りました。
この決断に後悔は全くしていません。
2月
共通テストでアドバンテージが無かった私は、もう一段階ギアを上げて勉強しました。
とにかく必死で、食事中も入浴中も勉強していました。
ここで人生最大の尖りモードに到達し、滑り止めの私立は一つも会場に行かず、学校で第一志望校の赤本を解いていました。
落ちたら浪人。
それしか考えていませんでした。
でも、とにかく受かりたかった。
で、迎えた受験当日。
諦めずに第一志望校の会場で受験できたことを誇りに思いながら、やり切りました。
手応えもそんなに悪くなく、今出せる力は全て出せたかなという感じで、満足したまま帰宅しました。
受験後に見た夜景は今でも忘れられません。

3月
合格発表までの約2週間、ひとり旅や美術館巡り等、受験期間中にやりたかったことをとにかく、こなしまくりました。
自己採点的には受かるか落ちるかギリギリラインだったので、多少期待はしていたのですが、結局不合格。
落ちたとわかった瞬間、一滴も涙が出なかったことが今でも不思議です。
あれだけ頑張って、高校3年生の1年間全てを受験に捧げてきたはずなのに、悔し涙が出なかったことが、今でもめちゃくちゃ悔しいです。
基本的に涙もろい私があの時泣けなかったのは何故なのか。
恐らくこれが人生初の大きな挫折でした。
自分の意思で出願したわけではない後期受験。
前日ホテルのベットの上で初めてその大学のパンフレットを開きました。
両親が浪人反対派であったこともあり、どうすれば後期不合格になれるのか考え続けていました。
どうせ合格したら行けって言われるだろうな…という感じですね。
行きたくもない大学で全くときめくこともなく、無感情で受けた面接。
受験後まち歩きもしたのですが、やっぱりテンションは全く上がりませんでした。
ただ、受験の際に出会った大学の先輩や教授が素敵な方ばかりだったというのが唯一の救いで、多少心は揺らぎました。
後期受験を終えてから、入金期限までの約2週間。
死ぬほど悩みました。
いろんな人から話を聞き、いろんな価値観に触れ、それでも譲りたくないという自分の気持ち。
全てがグチャグチャになって狂いそうでした。
頭の良い高校・大学に進学し、当たり前のように国家公務員になる。
当時の私は、いわゆる”エリート”が正義だと思っていたし、頑張ることがあたり前。
女性だからバリバリ働かない、働けない、なんておかしい。
日本の中心で優秀なキャリアウーマンとしてガッポガッポお金を稼ぎたいと思っていました。
でも、第一志望校に落ちたことで、私がイメージしていた当時の理想のキャリアが頓挫。
と同時に、私がイメージしていた理想のキャリアが叶ったとして、それは本当に幸せなのか、私にとって本当の意味で正義なのか、問い直すきっかけになりました。
中3の担任の先生に「もう頑張るのをやめろ。お前は十分頑張ってきた。完璧を諦めた瞬間にしか見えない楽しさがあるのに、お前は損をしている。」と言われたのが1番印象に残っています。
結局最後の最後まで自分で結論を出すことはできず、運任せで後期の大学に進学することにしました。
私はどこにぶつけたら良いのかわからないモヤモヤを抱えたまま、実家から遠く離れた地で一人暮らしの準備をします。
後期に進学すると決まった瞬間、両親は非常に安堵した表情で喜んでいました。
私は全く嬉しくなかったので、その顔を見た時にあーやっぱ浪人すればよかったと心の底から後悔したのですが、流石にあの顔を見たら言い出せませんでしたね(この時はまだ尖っている)。
4,5,6,7,8月
おい、もう5ヶ月分まとめるんかい!という感じですね笑
新しい地に赴き、一人暮らしも始まり、普通だったらキラキラ大学生活を送るはずだと思うのですが、私は全てに無気力でした。
大学の授業は流石に真面目に出席していたのですが、何の面白味も感じることなく、ぼーっとやり過ごしていました。
やる気が出ない、頑張れない、その全ての原因を「だって第一志望校じゃないもんね」に押し付け、自分自身を省みることはほとんどありませんでした。
日々の生活が無味無臭で学びもない。
友人を作ろうとも思わず、声かけられたら適当に返事しとくくらいの距離感で人と接していました。
もう何に対しても興味がわかない。
自分が生きている価値はあるのか、ここにいる意味はあるのか…。
見える世界に色彩はなく、ただただ白黒でした。
受験生時代に目標を掲げ、ひたすら全力で走り続けていた自分の方がよっぽどかっこよかったと思い、大学の夏休みが始まった8月ごろには仮面浪人を真剣に考え出します。
本屋さんで赤本を開き、これならまだ行けるかもと期待感をもち、再受験をほぼ決心しました。
9月
仮面浪人を決意した私でしたが、6月ごろに無気力でありつつも応募していた「フィールドワーク合宿」がありました。
もうほぼ生きる気力は無かったのですが、再受験前に最後に楽しんでおこうと思い、フィールドワークに参加。
そしたら思いの外、フィールドワーク合宿が楽しすぎたという展開。
生きるを楽しんでいるたくさんの人や、キラキラした活動的な先輩方、やりたい!を押してくださる受け入れ先の方々…。
たった10日間の合宿だったのですが、久しぶりに目標に向かって全力になれた気がして、やっと心が躍りました。
頭が良い、エリートになる、日本のために働く。
それが自分の役目であり全てだと思っていたのですが、価値観がガラッと変わりました。
自分の生きる気力が湧いてこなくなったのは、第一志望に受からなかったからではない。
目標を掲げることを忘れ、何に関しても無気力で初めから適当にこなせばいいやという、私自身に問題があり、第一志望ではないことを理由に全てから逃げてきた。
だから何も楽しくない。彩りも味も何にもない、つまらない日常になってしまっていた。
場所じゃない、自分に問題があるんだと気がつくことができました。
場所が思い通りにならなかったとしても、その場所を自分が思い描く場所に変えてしまえばいい。
自分が動けば全てが変わる。
そう前向きになることができ、好きなこと、ワクワクすること全部やろう。
そう思えるようになりました。
10月
やっと生きる気力を取り戻した私は、「自分って何が好きなんだろう」ということを考え始め、やっぱり民俗芸能しかない!ということで、思い切って自分の団体を立ち上げました。
上手くいくかわからない、何から始めたらいいのかわからない、そんな感じでしたが、やっと一歩を踏み出せたという嬉しさの方が勝っていました。
この時に背中を押してくださった方には感謝してもしきれません。
それからの私は人が変わったかのように活動的になりました。
自分のやりたいことのためには手段を選ばず、動き続けていました。
スケジュール的にはほぼ過労死寸前みたいな状態の時もあったのですが、それ以上にもう一度目標を掲げて頑張れている自分に戻れたのが嬉しかったです。
あーやっと自分今生きてるわぁと思えました。
11月
11月にはピアニストとしても復帰ができ、公私共に充実していたという感じです。
久しぶりに表舞台に立つことができ、やっぱり動いているときの自分の方が好きだなぁと思いました。
復帰戦が地元だったということもあり、いろんな人からあたたかく迎え入れてもらうことができ、やっぱり地元最高!とも思えました。
新しいプロジェクトも動き出し、スケジュール管理が非常に難しかったのですが、そんな自分が楽しくて、毎日ワクワクしていました。
12月
12月は自分で立ち上げた団体の初プロジェクトが本格始動したため、毎日がバタバタでした。
上手くいかないことや懸念点が多すぎて何度も心が折れかけたのですが、その度に手を差し伸べてくださるたくさんの大人や仲間がいて、自分1人じゃない!とも思えました。
想像の何100倍もたくさんの方が賛同して下さり、私の知らないところでもたくさん助けてくださっていて、感謝してもしきれない、そんな毎日でした。
私の発信したやりたい!が他の人のやりたい!にも移っていく様子が嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
上手くいかないことも多く、反省点も多かったのですが、何とか無事に乗り越えられたのはひとえに周囲の助けのおかげでした。
人と人とのつながりがいかに大切か、そして人が持つ力はいかに偉大で価値のあることなのか、改めて認識しました。
と同時に、自分の立ち上げた団体の活動に対する責任の大きさを知り、身が引き締まる思いでした。
1月
プロジェクトがひと段落したということもあり、自分のやりたい!欲が増していくばかりでした。
そのため、新しいことに手を出し始め、その準備に取り掛かった1ヶ月でした。
特に経験があるわけでもない私にとっては全てが手探りだったのですが、ミーティングをたくさんこなしたり、いろんな人に話を聞いてもらったりするうちに、たくさんのヒントを得られた期間だったように思います。
新しい出会いもたくさんあった一方でたくさん失敗もし、悔しいと楽しいが目まぐるしく過ぎ去っていった1ヶ月でした。
自分の無力さ、力のなさを感じつつも、これも経験だ!と思って歯を食いしばっていました。
2月
やっと大学の授業から解放され、人生初海外も経験し、マラソンも走り、とってもアクティブな1ヶ月でした。
自分の意見をクヨクヨしてないでとにかく口に出さなければ何も始まらないんだということをアメリカで学び、後輩だからとか、学生だからとか、経験が浅いからとか、英単語がわからないからとか、そんなのもうどうにでもなれと思って、言いたいことを言えるようになってきました。
その一方で、やっぱり上手く言葉にする勇気が出なくなってしまう場面も何度も経験し、そんな自分にイラッとすることもありました。
一歩踏み出す勇気を大切にという自分のモットーに真っ向から反している自分が許せなかったというわけです。
3月
3月は今まで動かしていたプロジェクトのゴールを何度か迎えるタイミングでした。
公の場で話すことがざっと4-5回ほどあり、慌ただしく過ごしつつも非常に充実していました。
予想通りいかないハプニングはあったものの、しっかりと対応できたように思います。
その一方でとことん上手くいかなかった案件もいくつかありました。
伝えたいことが全く伝わらずウズウズしていたら終わっていた、いけると思ったのに蓋を開けてみたら全然いけてなかった…みたいなことが。
久しぶりにしっかりと挫折し、やりたい!が叶わないという場面にしっかりダメージを受けています。
自分自身の活動もセカンドステージに突入しかけている今、何が違ったのか、どう変えていけばいいのか、このままのやり方でいいのか…結構一気に先が見えなくなってしまっているのにも関わらず、抱えているプロジェクトや締め切りは迫りきている。
年度末仕事一掃したかったのですが、このまま来年度に持ち越し確定案件がいっぱいです笑笑
2024年度の抱負
とにかく後先考えず走り続けた1年間が無事に?終わりました。
来年度はもう少し頭を使って見通しのあるスケジュールを立てたいです。
やりたい!ワクワク!は忘れずにいながらも、あれもこれもやろうとするのではなく、ひとつひとつの質を高めていくことにフォーカスできるようにしたい…。
そして、一つ大きな目標としてビジコンに出たいというのがあります。
お金稼ぎを考えることがあまり好きではない一方で、泥臭く動き回ることも学ばなければならないことに気がつきました。
慈善活動だけでは生きていけない。
ボランティアにはせずに、ひとつひとつの労働に価値を見出す能力は、自分が身につけるべき能力の一つではないかと思っています。
また、今年半年間学生メンバーとして泥臭いサイドが集まるコミュニティに属してみて、やっぱり人の匂いが違うように感じました。
自分が将来どちら側にいくかは分かりませんが、両者の気持ちを経験し理解することは必ず今後のためになると思います。
自分の体を労わりつつ、新しいことにたくさんチャレンジして、新しい世界に飛び込んで、たくさんたくさんワクワクしたいです。
変化を恐れず、勝負!
素敵な一年を過ごせますように…!