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プロの演奏家になりたかった私の話。

「東京藝術大学に入学したい~!」

当時、小学3年生だった私は、夕食の時間に両親に宣言していた。
今でもそのシーンを鮮明に覚えている。

なぜ、小学3年生が東京藝大に入学したいと言ったのか。
それは、日本で1番の音楽大学だと母から聞いた直後だったから。

当時の私は「日本で1番の存在になりたい」と思っていたのだ。

生まれたときから私の周りには音楽が溢れていた。

母がピアノを弾ける人だったということもあり、小さいころからクラシックのコンサートに連れて行ってもらっていたらしい(記憶にはないが…)。

クラシックのコンサートは年齢制限若しくは泣かないくらいの年齢以上という暗黙のルールがあるが、基本的に私がコンサートで泣くことはなかったのだそう。

3歳になったときには、ピアノの前に座り自由に弾いていたとか(もちろんこちらも記憶にはない…)。

ーーー
その後、小学校入学と同時に、私は、ピアノ先生(主専攻は声楽)に師事し、音楽の楽しさを存分に教えてもらうようになった。

先生は音を歌で捉える人だったので、私のピアノに合わせて常に歌ってくれていた。

その結果、小学生のうちに、音の表現や色彩感、メロディーの美しさを感覚的に捉えられるようになった。

実は、中学生になるタイミングで、音楽科への進学も結構真剣に考えていたのだが、将来の道が音楽だけになってしまうことへのリスクを丁寧に両親が説明してくれたがために、自分の意志で地元の普通の中学校へ進学した。

一方で、東京藝大進学及びプロになるという私の夢はずっと心の中にあったし、言葉にしていなくてもピアノの先生はそれに気が付いてくれた。

そんな私を後押しして、地元で一番有名な先生への推薦書を書いてくださり、入門試験を受けることになり…
無事に新しい先生への師事が決まった。

新しい先生は、80歳を超える、二人称は「あなた」のほぼデヴィ婦人みたいな人だった。

ピアノに関しては全くもって妥協せず、毎回のレッスンで必ず怒られ、永遠にたった1小節を30分以上弾くことになったり、レッスン時間が1時間以上過ぎていてもミスタッチがなくなるまで終わらなかったり…笑
いつも指が痛くなるまで弾いていたし、なんなら指が折れるかと思ったこともある。

毎回レッスン前には吐き気がするし、終わった後はいつも帰りの電車で一人泣いていた笑(ちなみに大学生になった今も)。

2人目の先生は、がちがちのピアノエリートで、海外の超名門大学を首席で卒業するような、控えめにいって神様みたいな人なので、未だに先生の門下生でいられることは奇跡でしかないと思っている。

先生のレッスンはとにかくテクニック!テクニック!テクニック!

普通に辛いけれど、1人目の先生から学んだ表現したい音楽を奏でるために必要な技術がするする身についていくために、自分が音楽を通して旅できる世界が広がっていく感覚が幸せでたまらない。

そんなこんなで、気が付いたら大学進学のタイミングを迎えてしまった私は、音大に行くのか、普通大学に進学するのか、ものすごく悩みに悩んでいた。

高校二年生の時には、地元の大ホールで自主公演ができるくらいピアノが弾けるようになっていたので、ある程度の自信はあったし、もっと上を目指して自分を試してみたいとも思っていた。

加えて、中学生から始めたホルンも意外と自分と相性が良く…。
中学生の時に国際コンクールで入賞して以来、ホルンもたくさんの有名な先生方に師事させていただき、高校生の時にはずっと念願だった全国大会本選出場も果たした。
しかも!その時の会場は憧れの東京藝術大学!!

ホルン専攻で音大進学するのもめちゃめちゃアリだと思っていた。

しかしながら、現実的なことを考えると、未来の進路を音楽だけに絞るのはこのタイミングではないと思い、結果的には普通大学に進学しているわけだ(今ここ)。

ーーー
この決断に後悔は全くしていない。

が、ふとした瞬間に「ピアニストになりたい」と思うことがある。
ふとした瞬間に「ホルンを仕事にしたかった」と思うことがある。

SNSを通して、同じ門下の同級生が世界的なコンクールでの入賞報告をしたとき。
支部大会で毎年出会っていた友人が、NHK交響楽団の賛助出演でホルンを吹いていると知ったとき。
全国大会で僅差で争った同級生が、海外の名門大学にて特待生としてレッスンを受けに行っていると知ったとき。

10年後、自分はたくさんの一流プロ奏者に囲まれているだろう。
そんなことが容易に想像できるくらい、みんなは今日も音楽と真剣に向き合って、夢を自分の手でつかみ取る目前まで来ている。

そんなみんなを誇りに思いながら、そのだいぶ手前で夢をあきらめてしまった自分にモヤモヤしたりする。
才能があるとかないとかに関係なく(確実に私には才能はなかったが)、自分の夢を諦めずに最後まで貫いているみんなのことは尊敬してもしきれない)。

あの時、自分が音楽大学という選択をしていたら今頃何をしているだろうか。

高校二年生、全国大会のステージ上。
確かに全国の舞台に立てて嬉しかった。
ここまで頑張ってきた自分が誇らしかった。

その一方で、ここでは特別にはなれないと悟った。

あの時、このまま音楽と真剣に向き合い続けていたら…。
東京藝術大学には運よく受かっていたかもしれない。
でも、私にはそれ以上は望めなかった。
今はそう思っている。

決して入学がゴールではなくて、そのもう一歩先。
特別にならないといけない…。

でも私にはきっとそれは無理だったと思う。 

ーーー
音楽は嘘をつかない。

疲れているときに元気なふりをしても、
悲しいときに嬉しいふりをしても、
寂しいときに強がっても、

音楽だけは私に嘘をつかせてくれない。

自分から出る音全てが、今の私をありのまま映し出している。

もう音楽を専門としていない、そんな私が奏でる音楽は、きっとどの音大生よりも技術的には幼稚で、難しい曲ももう弾けないし、誰の需要もないかもしれない。

だけれど、夢から解放された私の音は、素朴で自分に正直で、ありのままの感情をぶつけることができるようになった。

演奏会がしたい。
誰かの前で奏でたい。

最近はそんなことを想う。

今、弾いたら、ただただ忙しい、せわしない音楽になってしまうけれど…。

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