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タグ付けがたくさん出来そうな人生。

タイトルだけ見ると、とてもキラキラしているような印象にもなるが、私の場合そうではない。

久しぶりに、こういう書き物を再開するために自分の人生を振り返っていたら、ほんと、イレギュラーというか、すごくレアなことにあたるというか、30代半ばにして、タグ付けがたくさん出来そうな人生。

しかもそのタグ付け、いいことばかりじゃない。むしろ、「なぜ自分に降りかかる??」という案件の方が多い。

本当はすぐにでもご紹介したいくらいなのだが、今、一気にここに書くと、個人が特定されると怖いので小出しに。

このネット社会、困ったことをスマホひとつですぐに調べられるようになった反面、その信頼性の有無もしかり、ネット社会の怖さもあると自覚している。

何気ない日常のことも書いていくが、時々、自分の“タグ付け案件”を書いていきたい。

問題が起こるたびに、自分自身もネットで同じ境遇の人がいないかを調べる日々だったので、誰かのお役に立てればいいなという気持ちで書いていきたい。

過去の出来事で解決したこともあれば、今ももがき中の案件もある。この壁をどうやったら越えられるのか、いや、別ルートを行くべきなのか、今はじっとしているべきなのか…。努力ではどうしようもない案件で、今は、時の流れに身を任せ中。

自分自身、レアなタグ付けがたくさん出来るのだが、最初にも書いたが、その大半は、本当ならば自分に起こってほしくなかったこと。正確に言うと、その当時は、「なぜ自分が」と思う。

でも、時間が過ぎると、まだ引きずる案件もあるが、ほとんどが、「あぁ、あの時、こういうことが起こったから、今があるんだな」と思うことばかり。いや、そう思うように人生を軌道修正して、楽しまないとな、と心のどこかで思っているのかもしれない。

見方を変えれば、「引き出しが多くなっているのかもしれない」、とプラスに捉えられるようになってきた。

最近読んだ、イモトアヤコさんのコラムの中の「修正力」が、今の自分にとても響いた。

(余談だが、個人的にイモトアヤコさんの文章が好きで、本も購入させていただき、ウェブサイトのコラムも、日々チェックさせていただいている。)

詳しくは、ぜひコラムを読んでいただきたいのだが、このコロナ禍で先が見えない現在、このイモトさんのおっしゃる「修正力」が大切になってくると思う。

特に、今の子どもたちが大人になる頃、職業によってはAIにとって代わると言われている。つまり、今の職業が、将来あるかどうかの保証はないのだ。(逆に、私が子どもの頃、約30年前には、スマホアプリの開発やユーチューバーなどという仕事は、誰も想像もしていなかっただろうと思う。)

先がどうなるか分からない今、正解だと思っていたことや、こうなりたいと目指していたことがうまくいかずとも、そこで終わりではない。常に変化する世の中で、自分なりに対応し、修正していくことが必要になってくる。

偉そうなことを言ってしまったが、全ては、現在進行形でもがいている自分に言い聞かせたいことなのだ。笑

まとまりのない文章になってしまったが、「タグ付けの多い人生」嫌いじゃない。

むしろ、80歳くらいになった時、自分で自分の人生を振り返って、自分にどんなタグ付けができるのか、やってみたい。

タグの数なのか、タグの濃さなのか分からないが、「自分の人生、いろいろあったけど、なかなかいいもんだったよ。」と言えたら、最高である。

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