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サマリー画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか【アート・エッセイ】56〜60
第56回
コクテイル書房で行なわれた個展に行ってきました。そこでは、シンガーソングライターが、ひとの顔を描き続けたペン画が所狭しと飾られていました。
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肖像画について、ふっときになったことがあります。それを書いておきます。
美術というのは、西洋の美術と歴史に大きな影響を受けています。キリスト教の文化においては、ペルソナというものは、大切なモチーフで、対話、対面、そして、至福直感に通じています。
そして、三位一体の神のありように向き合うということ、ペーソナリティ、自分だけに向いてくれている神のペルソナに向き合うわたしのペルソナが、わたしの個を自覚させてくれるのです。
顔というのは、大切なモチーフなのです。
僕は絵を見るとき、わたしの心の置き場所を絵の中に探します。その余白こそが、絵をみる視点のひとつだと考えています。
肖像画、自画像というものには、そういう場所が、みあたらないようにもおもいます。彼らの視線の先には往々にして、神のような絶対者が喚起させられているのかもしれません。
わたしと何ものかが見つめ合う、その視線の間には入りにくいのかもしれません。
第57回
作品を見に行って知り合いになると、機会があえば、また、その人の展示にいくようになります。
画廊と知り合いになれば、そこで、新しい作家とであったりするようになります。
ひととの出会いが紡がれていく場所です。特に、二人展やらグループ展、もしくは、同じ画廊、もしくは同じ建物の別会場の展示でも、出会いがあります。
友達の輪ではないですが、足を使うとやはり新しい可能性も広がります。
第58回
画廊に行くことで、グループ展やら、企画展で、新しい作家とのつながりができていきます。
行く画廊の傾向もありますが、振り返ってみると、版画の作家との繋がりが一番多いかもしれません。
版画というのは、いろいろな手法があるのですが、版を紙へとプレスすることで、作品を作るのですが、一度、作り手のもとから離れます。
焼き物が、窯に入れられて新しい姿を得るように、版画も、予測できない部分がどこか滑り込みます。
版画は、自分だけでない何かの働きで作品が成り立つているからか、どこか控えめな方が多いような印象があります。
割と作家同士が仲良くなるようにも思います。
第59回
版画に関しては、以前、知り合いになったアーティストが参加した二人展やグループ展に行って、新しく繋がった方が多いです。
養精堂画廊は、日本版画協会が主催する版画展受賞者から画廊が三人選抜する企画展を行ったりしています。
そこから広がった繋がりもあります。
また、知り合いが協力してグループ展を開いたりもしています。
かなり以前ですが、版画家が二人づつペアを組んで版を交換して作品を作るという展示もありました。
画廊企画のグループ展ではじめて知り合いになった方同士が、仲良くなって、技法についての意見交換を割と積極的にしたりするようで、工芸的な要素が強いからか、このジャンルの特徴かもしれません。
そんな人間模様をみるのも楽しいですよ。
第60回
版画のジャンルのひとの話をしましたが、わたしはメゾチントが、好みです。
画廊探訪の活動をはじめて、初めて会ったメゾチントの作家が、佐藤恵美さんです。
メゾチントは、ロッカーという道具で、銅版に目立てをします。そのままインクをつけてプレスすると全体が真っ黒になります。
そこから、目立てを削ったり、つぶしたりすると、インクがはじかれるので、そこが白くなります。
フカフカの絨毯の毛を立ち上げて、その上を指でなぞるようにして絵を描くのに似てるかもしれません。
闇の中に浮かぶボンヤリとした光のような感じが、大好きです。
日本では、海外に比較してメゾチントをやる方は、少なくないようです。竹淵愛留萌さん、林明日美さん、畠中彩さん、清水佳奈さん、福田美菜さんと、メゾチントの知り合いは、結構多くなりました。