【画廊探訪 No.066】見えないのに見てしまうもの ――久後育大作品に寄せて―
見えないのに見てしまうもの
―――小杉画廊企画展『PRESS』久後育大出展作品に寄せて―――
襾漫敏彦
垣根、生垣、塀、カーテン、蔀戸、人は様々な形で、暮らしの姿を隠す。他者の好奇の目を避けることは重要なことであった。それは、ある種の見栄であるかもしれない。また、古くは蛮族の侵入から逃れる術でもあったのかもしれない。
木版画家の久後育大氏は、単色を中心として作品を構成する。主たる意匠は、身近にある植物や風情であるが、そこに力に従って下降する直線を刻みこんでいく。並行に幾重にも、に描かれた軌跡は、プリンターの動きのようでもあり、ブラウン管の走査線のようでもあり、竹垣の竹と竹の隙間のようでもある。絵と直線、二つの図像の重ねあわせは、懐かしい情感を導き出す。
姿態に誘われて何ものかを見るとき、そこに何らかの期待がこめられていることもある。頭の中では、様々な知性の働きが交わり、習慣や環境、経験によって組みあげられたコードによって想像は膨らんでいく。
単調な図案とシンプルな色づかいの久後氏の作品は、饒舌でない分、かえって想いをかきたたせる。規則的に並んだ直線は、幾何学的な法則を思い出させる。偶然性を超えた理法は、生命を内側から支える力でもあるが、同時に外側から拘束している作用でもある。
図案に対して降り落ちる直線による遮断はそこに意図を想像させていく。見せながら隠す、秘めながら露わにさせる。上下に張られた力線にまどわされ隠れた謀りごとの存在すら信じさせられていく。
本当は単純なことだったのだろう。けれども、一個の木の実が永遠の罪のはじまりになったように、存外に、我々は欲にまみれた他愛もない知性しか有してないのかもしれない。
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