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【画廊探訪 No.180】ガランドウに吹き込む風に彩(いろ)どりを覚えて――千川裕子出品作品に寄せて―

ガランドウに吹き込む風に彩(いろ)どりを覚えて
――12人のアーティストによるはがきサイズの作品展(Gallery Face to Face)
千川裕子出品作品に寄せて―

襾漫敏彦


街の景色は、変わらぬもののように、そこにあらわれている。そこでは、人が、物が、行き交う。それを支えるように、建物が、自然があらわれる。場所があり、そして、人や車など動くものがある。

それを、我々はひとつの絵画のように感じている。けれども、時に、動くものが、いなくなることがある。そこには、大きな空虚、がらんどう、空間がある。



千川裕子氏はメゾチントの作家である。メゾチントは、闇の中のぼんやりとした灯に浮かびあがるような存在をあらわす。光の繊細さを特徴ともするメゾチントの手法を使いながら千川の表現を媒介するのは、温度、湿度、空気の流れといったものである。
空間の広がりは視覚で確かめていくものではあるが、千川は視ることでなく包むように全身に伝えられるものを感じとらえるのだろう。

千川は横須賀育ちである。近代化と共に開けていく横須賀の港では、船が行き交い、埠頭がありドックがある。岸壁に船が横付けされ、クレーンが動き荷役が始まる。作業員が集まり車両が動く。それは、ターナーを想いださせる一幅の絵画のようである。

けれども、時が満ちて船が出港する。空になったドック、まっすぐな埠頭、さびが残る係留杭、そのまま鉄の固まりになるかと思いたくなるクレーン。先刻(さっき)まで動いていたものすべての吐息が停止する。



アーティストは、人間が交わる自然や社会、生活を、いわば、生を描く。とはいえ、物質によって型枠の中に織り出される絵画は、流れる時を切断しては、固まった瞬間をきりだす。人がいても生けるものがあっても、息づかいのない絵は凍結した瞬間でしかない。人の存在しない空間に残るもの、それは視覚に倚りかかった舞台の記憶である。しかし、体は、温もりや湿り気、そして気圧の変化すら感じる、世界との対話は、だからこそ、視覚を超え、形を超越し、全身で行われる。そして、それは表現へとも反転するのだ。


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千川さんのインスタとアイテム工房です。

https://www.instagram.com/kawashima/



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