【画廊探訪 No.179】エラン・アール、舞踏する原色――12人のアーティストによるはがきサイズの作品展水村芙季子出品作品に寄せて−―
エラン・アール、舞踏する原色
――12人のアーティストによるはがきサイズの作品展(Gallery Face to Face)水村芙季子出品作品に寄せて−―
襾漫敏彦
衝動は、内に生まれて、外へと向かってはじけ、表現をもとめて、ものを纏い、形をなしていく。アンリ・ベルグソンは、創造し、進化していく生物の原動力として、エラン・ヴィタールを語った。それは、生命の飛躍とも、衝動、衝力、そして生命のはずみとも日本語には翻訳される。
水村芙季子氏は、自分の想念を様々な形で表現を求め探ろうとする作家である。彼女は、ドローイング、版画、立体造形と様々な技法に挑み試行していく。それらのパーツを取りあつめては、コラグラフのように語ろうとする表現は、資材をとりあつめて組み立てた建造物のようである。けれども、色彩と色彩という形の柱の間に生じる未形の形である空間は本来の想念へと向かうはずみが飛びかっている。
絵を描くこと、それは多くのものを拾い集めて構成することである。神が土塊に人のイデアを与えたように、想いを具現化するために、器となる形を整えていく作業でもあろう。それは絵の具などの素材を、方法の手段として道具として使うことではあるが、下界にて肉体に縛られては生きる人間は、時として、道具にすぎない物質に魅了される。
絵を描くことが好きであった水村は、あるとき、色、ショッキングピンクと出会う。図像をつくり、組みあつめては、大広間のような空間を組みあげた少女は、そこにはずむべき魂の飛躍する幻影を見てしまったのだろう。
物体でこしらえた形の中に何かを宿らせるのか、何かが自分であろうとして、物体を引き寄せるのか。形と本質、肉体と魂、二つの間にはどこまでいっても、どこかに不具合が残る。だからこそ、夢を語ろうとして制作をしたとき、その完成品にはどこか物足りなさが残るのだ。
天国を求めては、人は皆、地獄に向かう。積んでは壊しつつ水村は、形にしばられぬ色の向こうに崩れそうな自分を信じているのだろう。