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hidekuma
画廊に行くようになって気がついたこと その45
最近の映画の看板は、プリントしたり、モニターに映像を映し出したりするようですが、かつては、職人さんの手描きでした。
一人一人の職人が個別に描くのですから、出来不出来も出てきますし、全部を並べることができれば、そのムラもでてくるでしょう。
だから、一枚一枚の看板には、さまざまな身体性というのがあったはずです。
印刷、マスプリントは、同じものがでてくることが、目標でもあります。でも、それは、違いを、個性を喪失する流れが広がることでもあります。
個別性、身体性と、複製、反復性、美術・芸術を考える際、大切なファクターにも思えます。
よく行った散髪屋のおじさんは、かつて、看板の仕事をしていて、映画の衰退と技術の進歩から、手描きの看板がなくっていく動向から、看板描きから離れて、散髪屋に変わったそうです。
お店には、美空ひばりや大原麗子、北島三郎など往時のスターの肖像を鉛筆で描いた絵を飾っていました。