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【画廊探訪 No.172】わたしの中にあらわれるわたし――世田谷ピンポンズ絵画展『ポンチ!』に寄せて――
わたしの中にあらわれるわたし
――コクテイル書房企画『ポンチ!』世田谷ピンポンズ絵画に寄せて――
襾漫敏彦
むかし語りは「かの谷に、おのこありけり」という語りからよくはじまる。それは、そこにヌッと“おのこ”がでてくることだと、ある本に書いてあった。“ある”は存在をあらわすというが、その場にあらわれるという使い方もある。
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世田谷ピンポンズは、フォークシンガーである。彼は数年前から、細めのボールペンを使って人の顔を描き続けている。メモ用紙程の大きさの紙に描くそれは、文学者やアーティストといった皆がよく知る著名人の写真から写しとったものであったり、友人、知人など身近な人であったりする。それは、彼の心の暗がりの中に浮かびあがった顔であり、彼の視線の先にある顔である。
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絵はその人の思いを馳せる世界を提示する舞台である。そこには、山や海、緑といった自然や建物、人物といったものが置かれていく。そして観る人は、その舞台装置の隙間から舞台にはいっていき、立ち位置を変えては、世界を理解する。余白、隙間は、観る者の主観の置き場でもある。
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世田谷ピンポンズの作品には余白がない。物語も、状況も読みとれない。暗い場所で、スポットのライトを浴びて浮かびあがるようにあらわれる。そこには、その人しかいない。
それは、周囲の物音をふり落として歌う姿であり、曲をつくるときにこころにあらわれる自分の世界のようでもあり、そして、ステージの上から見つける会場で浮かびあがる人の顔でもある。
描かれる顔、それは彼の心の暗がりの中にあらわれた顔、そして彼を見つめる顔であり、彼の視線の先にある顔である。全ては、彼の心をつくりあげた顔であり、世田谷ピンポンズのパーソナリティを育て続けるペルソナであり、育てられた自画像であろう。
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世田谷ピンポンズさんはフォークシンガーです。
WEBサイトらしきものを添付しておきます。
ユーチューブで、彼が歌う動画もありますのでいくつか挙げておきます。
個展を開催してコクテイル書房のサイトも添付しておきます。