【画廊探訪 No.079】向こうの見えぬ色ガラスの明日を夢みて ――千葉晴雄ステンドグラス展に寄せて―――
向こうの見えぬ色ガラスの明日を夢みて
――千葉晴雄ステンドグラス展に寄せて―――
襾漫敏彦
その日は、普段は使わない路線の電車に乗っていた。車中から外を眺めていたが、学校と思われる建物を目にした。飾りのない白い壁に等間隔で並んだサッシ窓をみると、人の息遣いの感じない穴のあいた箱にしか思えなかった。
ある晴れた休日、長谷川宏さんが主宰する赤門塾で開催された千葉晴雄氏のステンドグラス展を訪ねていった。彼は、高校の物理の教師であったが、本業の傍ら、独力でステンドグラスの制作にとりかかるようになった。彼のステンドグラスは、心持の掌(たなごごろ)にのるようなランプの作品が中心である。古い色ガラスの欠片を集め、廃棄されたステンドグラスの枠組みや自作の陶器にはめなおしていく。かって、何かの役割をはたしていたものを、拾い集め。みがき、容(かたち)を整えて、ひとつのまとまりへと組み直していく。その工程は、過去を素材とした編集であり、再生ともリユースともいえるだろう。
人間はガラスの中に透明さを追求していった。それは、均一であり清潔であり見えない壁である。けれども、どこかしら、ひんやりとさせるものである。一方で、ひとびとは、そのガラスに色をつけ模様を施す。色のついたもの、汚れた部分や欠けた個所をもつガラスは、どこか体温を感じさせる。
人は新しい自分へと成長する際、古い自分を捨て去って生まれかわるのではない。むしろこれまでの自分の経験を新しい刺激をすこしばかりいれて編み直しているのである。
子供等のそばにいると、そういう場面に出会わすこともあるだろう。けれども、可能性は変わらぬ日々の中に埋もれている。千葉氏のステンドグラスは、日常の中にある未来という灯を抱えた空間の体温を表現しているのかもしれない。