ある駅前で出会ったもの【この町で生まれ、この町で育ち、この町で暮らし、この町で死ぬ】
ある日の帰り道、駅前で、イスラエルのガザ侵攻に即時停戦を訴えるグループの演説が行われていました。
戦地で、日々おこる被害をジェノサイドとして、それを止めるために小さな声をあげましょうということでした。
ジェノサイドといえば、僕にとっては、世界史で学んだ歴史的事実が浮かび、ホロコーストの構図に思いいたるものでした。
ジェノサイドが、固有名詞から、普通名詞に変わりつつあるのかも知れません。
この時の演説は、いくつかの小さなグループが集まったものですが、その中で、この街でうまれ育ったものとして、罪なきひと、子どもたちが犠牲になるのを、何かしたいという言い方をしていました。
国際政治における善悪、是非でなく、わたしの実感するささやかな日常が、あやうい、守りたいという、そんなところが、行動の根かも知れません。
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