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ほんのしょうかい:中村江里著『戦争とトラウマ』〈『思想の科学研究会 年報 最初の一滴』より〉

中村江里:『戦争とトラウマ』(吉川弘文館)

(2018年「集団の会」の課題)
 この本は、前大戦下において発生した日本軍兵士の精神障害に対する行政府的対応ならびに、それにまつわる社会的状況との関係を扱った研究である。 この本は、序章で語られるように大きく二つのパートからなっている。総力戦においては、軍事関連の精神障害が無視できないものとして発生する。第一部では、軍事担当部門を中心とした政府の組織的対応を分析し、第二部では中央で策定した大きな方針が、具体的な状況の中で、どのように展開していったのかを戦地や地域一般病院という周縁の事態との関連や個別の事例へと光をあてていく。
 様々な理由から、戦時下での精神疾患を扱った記録の多くは、失われていて手にできるものは断片的なものになっている。中村氏は個別の患者のカルテをはじめとして、その記録をひとつひとつと丁寧に拾いあげている。 明治の日本政府は、列強の姿を鏡として近代国民国家に向けて整備をすすめた。その系譜の上で、地域や社会の日常性から引き離された地点で統制されるものとして、軍事も医療も位置づけられていく。
 軍事においては、軍隊の再生産の課題とは、どのような人々を社会からとりこみ、そして、メンテナンスし、社会へ戻していくかということであった。社会から隊へのリストラクション、諸隊の戦地への配置・再編成、そして戦闘に耐えなくなった者の仕分け及び兵士の供給源である後背地への配慮。軍隊というものは、多くの人にとって理不尽にも思えるものである。しかし、制度というものは、自らの理(ことわり)に向かって進んでいく。そして、軍隊は、礼や法に代表される合理性と親和性が高い。とはいえ、制度のもつ合理性はそこに志願する人や制度にまきこまれる人達の理(ことわり)、記憶や美意識に添う筈のものではない。制度の合理性と人々の生の理の間には、埋めきれない断絶が数え切れないほどある。このような制度の合理性と日常の合理性の隙間の不条理にこそ、この本の本質が存在する。
 戦争に随伴した心理及び精神障害が、放置できない量として発生したからこそ、中央病院をつくり専門家を集め、形をととのえる必要があった。前提と目的が与えられたとき制度が辿りつくべき理がある。しかし、制度を構築させようとする者の目的や考え方、価値意識、そして日常性の価値観に左右されて、しかるべき結論に辿りつけるとは限らない。理(ことわり)は、むしろ別の理(ことわり)によってねじ曲がっていく。
 理(ことわり)と理(ことわり)のすれ違い、二つの理(ことわり)のどちらにつくのが正しいとは言い難いものである。けれども、人がつまづくのは、この二つの理(ことわり)の間隙なのである。その場所に立とうとするならば、予め準備した判定の座標にはめる以前に、まず、その場所に佇んで静かに描出することが大切なのではないだろうか。
 ひとりひとりの診療録、業務書類、関係者の証言、誰かが気づかなければ、捨てさられたはずのものに、光をあてて隙間を照らす愚直な作者の営みこそが、過去を未来に橋渡しするこの一冊を可能にしたのだろう。(本間)




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