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【画廊探訪 No.026】山に響く銀の錫杖 ―――七人展 新井田慈英出品に寄せて―――

山に響く銀の錫杖
―――七人展 仏教美術 木彫 能面 神楽面
             新井田慈英出品に寄せて―――
                     襾漫 敏彦
 今回七人展で、一翼を担い、仏画と仏具を出品した新井田慈英氏は、同時に僧侶である。専門家というものは、真理そのものの代弁者でなく、その事に始終かかわり、考えているものである。神に限りなく近い者や、悟りに肉迫した人はいるだろうが、神そのものである人や、悟れた人は、たまさかにしかいない。僧籍にいるものも、救われているわけでも、悟っているわけでもなく、日常の営みとして関わり続けているものである。彼もやはり一隅を照らさんとする人である。

 仏像も、仏画も、法具も、修行の日常の中にある。埃を払い、汚れを磨く、そして法具を手に、仏画を前に日々の勤行をなす。仏教の外縁にある者にとって、仏像や仏具は、近寄りがたいものではあるが、想像以上に、日常であり、道具なのである。銀の錫杖、水晶の仏塔、絹に描いた弁財天、今回、展示されている作品も、鑑賞の為でなく、行の中で用いられる為に作られている。

 二人で錫杖の音色が、どのように響くかの話をしていた。私は、つまりは、想像するだけであるが、彼は回峰行に伴う音色として、姿として考え、具体的に拵える。用途の中で、用途を超えた趣(おもむき)き、ここに美の根元があるといっても過言ではなかろう。
 
 昔の僧は、みずから仏の姿を描いた。それは、他者をおき己を学ぶのであろうか。僧としての苦悩と喜びを、彼も弁財天に描きいれる。自然と厳しくなる表情の中に、時空を超えて千里を照らす勤行の系譜が息づいているのであろう。

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この方は、黒住さんが中心にやっている【工燈】七人展に参加されている方です。東北の方のお寺のお坊さんです。

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