〈画廊に行くようになって気がついたこと〉まとめ、56ー60委ねるアート
第56回
これまで、デジタル技術、AI、重ね合わせなどの話をしてきましたが、芸術の世界では、計画的、計算的でないものを求めるものもあります。蔡國強氏は、鷹見明彦氏と共に古い知り合いでしたが、彼の火薬の芸術というものも、偶然性、一回性の芸術です。
火を使った芸術として、陶芸もあります。それまで考えて作成はしても、最後の部分で窯の中へと手放す。人智を超えたところの見えざる手に任せるアート。
陶芸家はあまり多くの知り合いはいませんが、天狗寺陶白人さんには生前お世話になりました。
任せるアートも興味深いです。
第57回
何か自然の力に任せる、そういう表現も面白いです。日本画のたらしこみというのもそのひとつでしょう。
松本みさこさんは、墨流しを利用します。
水のちからに任せる手法は、日本人のエートスに馴染みやすいのかもしれません。
己でない何かの身体性を感じることで、己の身体性に共振させるように理解してるのかもしれません。
第58回
自分が準備できない何かの力に任せる手法、そのひとつが、物質同士の相互作用を作画に持ち込む方法です。
石塚桜子さんは、水性と油性の具材とニスを混ぜ合わせて、工業化学的な反応を引き出します。
いい方は悪いけど、産業排水が流れ込んで水面に浮かぶヘドロを思い出します。
強引な融合と反発、物質の存在そのものをダイレクトに感じます。
館泰子さんは、作成した版画にポピーオイルを染み込ませていきます。それによって裏と表、両方を味わえる作品をつくります。
オイルが染み込んで、安定させるまでに、数年の時の経過を利用します。
時のちから、物質のちから、その人智を超えた作用に、魅力を感じます。
第59回
陶芸は、窯で火にさらされ、版画は、プレス機で圧力を加えられる。それが思いがけぬ作用を導いてくれることに、面白味もあり、深みも生まれます。
ただ、僕らは結果しか知りませんが、作り手としては、その変化がむずかしくもあり、たまらなくもあるのでしょう。筒井さんの作品は、土の感覚が残る焼き物ですが、それがユーモラスな造形と作用し合う魅力があります。ここに至るまでいくつもの試行錯誤を繰り返したのでしょう。
白木千華さんの作品は御伽噺のような可愛らしさがありますが、焼き物では、釉薬が発色しますが、部分的にわずかなムラもできます。
デジタルプリントにない不完全さではありますが、その隙間こそ、絵本のような、どこにもないけどある、あるけどやはりどこにもない世界を語ったくれます。
第60回
対として陶芸と版画を、一度、手離すものとして、表現してきました。評論の中で、版画の作家を扱うとき、プレスを窯に喩えて、〈圧力の窯に投げ入れる〉といった表現をしたりします。
人智を超えた何か、計算できぬ何か、それへの謙虚さを感じることもあります。
中村美穂さんと岡田育美さんの作品は、そういう姿勢に、醸し出されるボンヤリとした情緒を感じます。
創作における知性とそれを超えたもの、この二つの間を、版画の方たちは、移ろっては、位置どりしてるのでしょう。
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