ほんのしょうかい:秋山道宏『基地社会・沖縄と「島ぐるみ」の運動 ―B52撤去運動から権益擁護運動へー』〈『思想の科学研究会 年報 最初の一滴』より〉
秋山道宏『基地社会・沖縄と「島ぐるみ」の運動 ―B52撤去運動から権益擁護運動へー』(八朔社)
(2019年「集団の会」の課題)
この本は、沖縄の返還が政治日程として具体化し始め、復帰後の具体的な姿を意識せざるを得なくなるようになる1967年11月の第二次ジョンソン・佐藤会談を中心とした前後数年の沖縄県の動向を対象としている。この時期は、七〇年日米安保条約の自動延長を前にベトナム戦争が激化する時期でもあった。そして、米軍基地を抱える沖縄も、米日両政府とベトナム戦争の動きの中に漂うように巻きこまれた時期でもある。
沖縄においては、本土の五十五年体制に呼応するように保革の対立が激化する。筆者は、その政治的動向のひとつ深い所にみえる「島ぐるみ」という言葉が抱く何かが、基地の存在の是非から始まり、B52戦略爆撃機の墜落・爆発事故とその後のB52撤去運動、そして返還後の沖縄の経済計画の中で、どのように変化していったかと追いかけていく。
イモ・ハダシ論争、B52撤去運動、ゼネストの企画と中止。運動と議論は、政治の〈言葉〉を作り続けている。けれども、その深いところでは、ひとりひとりの生活の〈うめき声〉が潜んでいる。〈言葉〉と〈うめき声〉の間で浮かびあがるのが、「島ぐるみ」というイメージであった。夜の海面に映る月のような「島ぐるみ」というイメージは、政治の〈言葉〉に対しては、〈うめき声〉にもなり、ひとびとの〈うめき声〉に対しては、政治の〈言葉〉にもなっていった。 秋山道宏氏は、この本で、「経済」という視点をおき、「オール沖縄」にも通じる「島ぐるみ」という言葉をてがかりに、政治的決着と、ひとりひとりの「生活」、「生存」、「生命」が形づくる「日常」との間の断層の狭間を再検討した。政治の結果を通して過去を見ることは、回想の方法である。けれども、政治の結果は、多くの想いと可能性を蒸発させた廃墟にすぎない。秋山氏は、当時の新聞や投書、そして聞きとりを丁寧に行うことで、これからくる未来に対峙して、不安と期待に揺れる豊かな生きた声に触れるために、その廃墟の中に手がかりを探ったのだと思う。(本間神一郎)
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