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紹介『思想の科学研究会 年報』 ーーー第五号 やまびこーー


思想の科学研究会では、研究会の活動を活性化させ、外側の人にも伝えていくために、『思想の科学研究会 年報』を発行しております。

第五号 やまびこ について紹介します。


目次と構成

「やまびこ」は大きく4つのパートから構成されています。
まずは目次を提示します。

特集 市民学校
市民学校について                         本間 神一郎

思想の科学研究会「市民学校」録音記録を聞いて
  松下圭一による「戦後の婦人問題を」聞く            椎野 和枝 
  巨視的な教育学―永井道雄の市民学校での講義に寄せて      和田 悠

論説・寄稿
元山仁士郎さん                             竹内 裕子
他人の頭上                               竹内 裕子
   余は如何にして基督信徒を辞めし乎 第三回                中島 義実
実現されつつある規範の効力と限界                    飛矢崎 貴規
猿蟹考 猿蟹合戦はなぜ猿と蟹なのか                   今江 崇    
「体験を所有する」という試みはどういうことか
人間の記憶と情報メディアについての省察(2)               後藤 嘉宏
余白にたたずむわたしの面持ち                      本間 神一郎

エッセイ・創作
雨の日曜日                               宇宿 一成
なぜ、ハワイ
  「それは昭和の、ハワイでした」                     山本 英政
シリーズ 博多のロックバンド
   HEDGEHOG                             橘 正博
美の街道 ――西荻窪 路地を抜けて――
  「ギャラリー・フェイストウフェイス」                   襾漫 敏彦

研究会の活動について
【ほんのしょうかい】
・水谷雅彦『共に在ること――会話と社交の倫理学』(岩波書店)
・ 荒木優太『サークル有害論』(集英社新書)
・ 牧野隆夫『仏像再興』(山と渓谷社)
・八木雄二『キリスト教を哲学する』(春秋社)
・司修『戦争と美術』(岩波新書)

 それぞれの構成や個別の原稿に関しては、改めて紹介させていただきます。

年報は、以下のサイトから閲覧可能です。


最近、研究会のサイトは、引っ越しをしました。

投稿に関して

 基本的には、一般の投稿も受け入れたいと考えています。ただ、仲間内で制作している同人誌のような性格が強いので、そこを理解してもらった上で投稿を受け入れるつもりです。
 まずは、投稿の案内に沿って研究会の方にご一報ください。

これから、投稿で詩を応募することも試みたいと考えています。要項が決まりましたら、ここにアップさせていただきます。

最後に巻頭言を掲載します。今回のタイトルやまびこは無着成恭さんの追悼の意を表しています。


壁のように聳り立つ山肌に向かって
 子供の頃、散髪屋に行くのが嫌だった。おじさんに話しかけていいかわからない。行儀良く、じっとしていなければならない。退屈で苦痛だった。
 散髪屋では、ラジオから「子供電話相談室」が流れてくることが多かったように憶えている。子供の質問に答えるむちゃくせんせいの東北弁の独特な語りが、リズムのように体に記憶されている。

 今回の年報第五号の特集は思想の科学研究会が企画した「市民学校」である。これは、六〇年安保の余韻の中で、いろいろな世代、階層のひとが、その違いを超えて理解しあおうとした営みともいえる。市民学校の第一期の講師を川喜田二郎氏と共に務めたのが無着成恭さんだった。今回の年報
で、市民学校のことを整理しているさなかに、無着さんの訃報が届いた。
 無着さんは、雑誌『思想の科学』が自主刊行となった一九六二年に入会されてから、ずっと会員であった。その無着さんには『おっぱい教育論』(どう出版)という名著がある。ある日、わたしの所に、この本が送られてきた。時間を見つけてゆっくり読ませていただきますと、返信したら、間髪
入れずに、葉書が届いた。「すぐ読んでください、本間さんなら一時間で読めます」と。

 これは、母乳育児の大切さを訴える本であった。
 授乳を通じて、子供と向き合うこと、抱き守るように育むこと。
 その精神性も含めて失われつつあることを、
 無着さんは、懸念していたのだろう。

 考えてみるに、無着さんは、対話する相手を大切にし続けた人だった。それは、山形での教師としての日々、そして「生活綴方運動」、「山びこ学校」、「子供電話相談室」、教育者、僧侶としての生き方。彼の活動は、ひとりひとりと向きあうところから始まる。その姿に学びたい。
 思想は、考えたことを返してくれる相手のようなものがあって初めて育てられる。そのとき、相手に対する誠実さ、山のかなた、壁の向こうにも、自分と同じ重さの存在がある。このことを忘れないこと、捨てないこと。
 実践や行動は、ただ、世界や社会を変革するためにのみあるのではない。結果以前に、壁のようにあらわれる困難にぶつかることで、状況を深く理解するきっかけが得られる。自分を吟味し、組み換え、へこたれないためにも、一歩を踏み出し、声をあげる。

 研究会の実務に携わっていると多くの訃報に触れる。
 いくつも追悼を書いた。
 書きながら思う。

 研究会は、多くの人生の網目の中に生きている。会は誰かでなく、多くの先輩達の営みがあり、そのひとりひとりの小さな持ち寄りがエジコのように編みこまれて、今日も会を育んでいる。そしてそんな先輩達の思いや営みに声をかけるように思いを馳せては、返ってくる声を受け止めて、今を豊かにできたら、さいわいである。
 『年報』も擦った揉んだしながら五号目までたどり着いた。
 無着成恭さんを偲んで、やまびこと名付けた。

本間神一郎


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