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展示感想:〈彼岸と此岸の波打ち際をトボトボと〉生熊奈央・浅野井春奈・高橋いづみ展「視線の行方」Gallery Face to Face

 Gallery Face to Face 企画、生熊奈央・浅野井春奈・高橋いづみ展「視線の行方」Gallery Face to Face に行ってきました。

 銅版画、鉛筆画、木彫り、陶と様々な作品が並んでいました。それぞれのこだわりが、手法と交わって、作家、それぞれのユニークな特殊性がよく現れています。

 浅野井さんは、小さな立像が中心ですが、昔、海水浴でタコの死骸と遭遇したことが、精神世界の深いところにあるそうです。波間に漂うタコとわたしを繋ぐ視線が、これまで、感じていた空間を一変させたようです。

 つげ義春が好きな彼女のイマジネーションは、『ねじ式』のように、どこか波打ち際のあの暑くて湿っぽい触感があるのでしょう。


 海岸線の向こうにある世界、彼岸には、どこまでも尽きぬ深淵が広がります。

 生熊奈央さんは、銅版画の方です。ニードルで削って描くエッチングのシャープな描線は、一種、繰り返しつたわる波動のようでもあります。打ち寄せる波は、動きなのに永遠不滅を感じさせもします。

 大きな力の前に、無力なわたし、何も作用できないのに、いつかはそこに飲み込まれることを知っている。


そして感じるのは、向こうからわたしを見る視線、その容貌です。


 海岸線の向こうに広がる彼岸のような異世界がよく、あらわれています。

 とはいえ、躊躇いながらも、うつろう現世に生きています。高橋いづみさんの鉛筆画は、その寄る辺のなさがよくでているように思います。

 人形作家でもあった高橋さんは、人形に移し込む思いが、よく作品に表れています。


 肌の手入れをするように人形を扱うごとく、温もりや湿り具合を画像から伝わるようです。うつしみの傍にそっとたつような空白の広がりが、人形を包む想いにつながるようです。


 うつろうことが、移ろうなのか、虚ろなのか、虚にして実の此岸での体験が、三者三様、どこからえがかれているか。
 迷い込んだ渚に、どこからか感じる視線、それが、「視線の行方」なのかもしれません。

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