【画廊探訪 No.184】兄弟、魚ではなく、ギミック(機械仕掛)を釣ろう――アニマリア=生きものたちの世界 Part2 益田由二出品作品に寄せて――
兄弟、魚ではなく、ギミック(機械仕掛)を釣ろう
――Gallery Face to Face企画 アニマリア=生きものたちの世界 Part2
益田由二出品作品に寄せて――
襾漫敏彦
有名なタルコフスキー監督作品『ストーカー』の原作者、ストロガッキー兄弟によると、地球外からもたらされた異空間ゾーンに惹きつけられて集まる人間の姿は、便や食物など人間が落としたものにあつまるシデムシの様子がもとにあると、どこかに書いてあったように思う。
益田由二氏は、人工的なものとその虚偽性その両方を愛する作家である。益田は、完成された表側よりも、その奥にある仕掛に心が動かされる。時計台の針をみながら、その盤の後ろにある歯車や振り子に想いをはせる。
すべては、結果である。隠されたものや過程や仕組み、ギミックこそが本質なのである。
益田は、打ち出した下絵という設計図に、水性色鉛筆で、色を描きのせていく。そして、それを水でぼやかしては重ねていく。それは色ですら仕掛けであり要素(パーツ)へと限りなく分解できるという妄想に近い信念に支えられている。そして限界を見極めてペンで境界を付与していく。
色をほぐしては固め直して表れるものは過程や工程を時の積み重ねとして物質性をまとわした色という“モノ”である。益田は、それを部品として、ようやく二次元の世界で機械仕掛を完成させる。
人類は様々なものをこわして、部品として新しいものを創造していった。それが近代というものであろう。指導者が、完成だ、達成だといっても、そこに表された形は、明日にはこわされていく。そして、いまや人間の肉体、そして精神すら分解しはじめた。もはや、自分の手が機械仕掛けでないと自信をもっていえなくなりはじめている。
人類が滅んだ後、残るのは、物質、部品と仕掛かもしれない。そこにハテナマークを頭につけた生きものたちが益田のように集まってくる。人類の発展のディストピア、世界は変わらないのかもしれない。