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【画廊探訪 No.177】触れあうことを、世界に変えて――「視線の行方」(Gallery Face to Face企画)高橋いづみ出品作品に寄せて――

触れあうことを、世界に変えて
――生熊奈央・浅野井春奈・高橋いづみ展「視線の行方」(Gallery Face to Face企画)
高橋いづみ出品作品に寄せて――

襾漫敏彦

鉛筆は線を書くものである。けれども、こすったり、ぼかしたり、傾けたりして、面へと描き拡げていくとき、そのふるまい以上に、図像の濃淡の中に、心の顔つきが染み出してくる。



高橋いづみ氏は、ものの表面を撫でるように描いていく鉛筆画家である。その前に高橋は布を使った人形を制作していた。立体作品の制作は、前後左右、上下と調和と統一、そしてバランスを求めて全方向からアプローチを加える作業である。高橋は、その行為を通じて人形に託していた想いを絵画という平面におこし直していく。それは抱きしめるように全方向から包みこんだ物語のような散文を心の中で詩として開き直すような行いになるのだろう。


人形への関わり方には、男女の精神性の違いがあらわれる。男の子にとって、人形は玩具であり、駒であり、自分が主人公である世界を空想し、拡げるためのアバター、分身である。女の子にとっては、語らう友であり、感情をわかちあう連れ合いであり、痛みを、寂しさを共にする家族でもある。世界を表現する操り人形の装いは、役割を示す記号である。けれども、友としての人形の装いは、化粧であり、身だしなみであり、心遣いである。



高橋の鉛筆画の特徴は余白である。そして図像の表面を撫でるように整える描写である。リボンを結び直したり、髪を梳いては編み直すような描写への心情が、余白の中に静かに溢れている。見る者の視座は、余白に描き込まれた無描の描写によって追いやられていく。


鉛筆の絵画が心情の表現に進んでいく時、余白は絵画の主語の心象に変わっていく。その時、余白に住まわっていた高橋の想いは一匹の青虫になっていく。無人格でありながらゆるゆると動いて、視ることを触れることにかえて語り合い続けていく。



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