【画廊探訪 No.056】美徳と偽善 ―――art Gallery OPPO『田口輝彦作品展』に寄せて―――
美徳と偽善
―――art Gallery OPPO『田口輝彦作品展』に寄せて―――
襾漫 敏彦
完全なものは永遠に美しい。時の進行の中で、完全は求められるものである。けれども、ゆがみ、ずれ、いさかい、不均等、そういう自然に思われるものや不快なものは、地を這う存在に活力を与える。堕落から逃れようとして、完全なるものへと昇りあがろうとする。けれども求めるそれは、そこで動きを止めてしまった氷の城のようなものでもあろう。
田口輝彦氏は、完全なる神の実在が前提であったヨーロッパ中世の時代の風俗になぞらえて擬人化された動物の彫刻作品を手掛ける。彼は、木材と粘土を焼いたものを組み合わせて作品をつくる。身体は木、頭部は粘土で造形をほどこして焼成にかける。眼窩にいれた球を新しく玉眼に変えて身体と組みあわせ、接ぎ目がわからぬように彩色を施す。一見すると玉眼をいれた木像である。けれども、塗料の仕上がり、面のカーブ、ひびのはいり方、さらには掌で触れたぬくもりが異なる。
その作品は、凝視すると何処か不格好である。左右の眼の視線のずれ、顔のゆがみ、不自然なひびわれ。中世の意匠は、ある意味ステレオタイプであるが、美徳と偽善に彩どられたその舞台に置くとき、不自然さが動き出す。ゆがみ、ずれ、その裂け目を前にしたとき、人の意識は、それを想像の力によって修正していく。
ひとつのものとみえるまとまりには、多くのものがかかわっている。お互いの間には、ひずみやいさかいが生じているものである。いさかいのない集団は、いずれ衰滅する。バベルの神話、それは両面を語るおはなしである。神の怒りが、人類の悲劇をも豊かさをも生んだ。バベルの神話の末裔は、芸術をめざすものの二つの手に生きているのであろう。
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田口さんのサイトです。結構おもしろいですよ。