サマリー画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか【アート・エッセイ】 47〜51〈京都散策篇〉後半
第47回
今井町に訪れたのは、そもそも、今井文庫に行くためでした。
今井文庫は、「就労継続支援B型事業こうぼ」が、運営している、コミュニティ&ブックカフェ で、地域に根差した居場所をめざしています。
今井町は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されていますが、今井文庫は、その今井町の造り醤油屋さんの恒岡醤油さんの建物を活用した場所です。
思想の科学研究会の会員の上田琢也さんが、面白そうなことをやられているとのことで、京都散策のついでに寄ってみました。
作業所の作品を中心に、さまざまな作品が売られていました。
また、カフェスペースも展開していて、そこには、いろいろな本も並んでいました。鶴見俊輔さんを中心とする棚もあり、そこをきっかけにいろいろな出会いもあるようです。
京都から離れているせいもあるのか、観光客でごったがえしているようでもありません。
楽しいひとときでした。
第48回
京都、東福寺光明院に行ったあと、みちすがら竹情荘を訪ねてみました。
平井楳仙、満貴の自宅を改装したギャラリー併設の甘味処で、私は、コーヒーと和菓子をいただきました。
カフェにアートを展示するところは少なくないのですが、日常に美をもとめる風情が満ちていて、なかなかの空間でした。
こういう場所が、随所に見られるというのも京都ならではなんでしょう。
第49回
今回、京都を訪ねたのは、岩屋山志明院と徳正寺に参拝し、手を合わせるためでした。
徳正寺の先代の住職は、日本画家の秋野不矩さんの息子さんの等さんで、徳正寺の井上章子さんと一緒になって住職をつとめました。
秋野等さんは、陶芸家でもありましたが、徳正寺の庭に矩庵という茶室を建てられました。
矩庵は、藤森照信氏による設計ですが、赤瀬川原平氏や、南伸坊氏やらが手伝いに集まってきて、秋野さんが仲間とワイワイいいながら、手作りで作られた茶室です。
私は、以前、この矩庵にあげてもらえました。
秋野等さんは、昨年なくなりました。
それで、今年は、菩提を弔いに伺った次第です。
第50回
京都は、豊かな鴨川に支えられていますが、上流へと登っていくと、雲ケ畑の岩屋山志明院に行き着きます。
この寺は、役行者が創建し、弘法大師が、再興したお寺です。
弘法大師は、寺域の奥にある神降窟に、滴る水滴をさして、賀茂川の最初の一滴と定義したそうです。
歌舞伎十八番の「鳴神」は、水の伝説とまつわる志明院をモデルとしたものです。
宮崎駿の「もののけ姫」のモチーフも、この志明院に由来しているようです。
かつて、鴨川の上流に、ダムを建設する計画が立ち上がったことがありました。志明院の先代の住職は、ダム建設によって失われる京都を守ってきた豊かな自然が破壊されること、そしてその治水計画の杜撰さを憂い、反対運動をおこします。
さまざまな妨害をうけながらも、ダム建設を中止に追い込みます。
思想の科学研究会の京都集会を開催した際、みんなで志明院にでかけました。その際、田中真澄さんには歓待していただきました。
その時のことは、思想の科学研究会年報の二号に触れられています。
住職は、昨年亡くなられたので、今回、お線香をあげにうかがって次第です。
志明院の住職をはじめとして、京都の変わらぬ姿を守ろうとする、そのような努力によって、歴史と美の遺産の京都は、守られてきたのでしょう。
画廊の楽しみ方、京都散策、これにてまとめたいと思います。
第51回
九月に行った京都散策のまとめです。
京都には、至る所に美を感じるものがありました。それは、長い年月積み重ねたひとの〈試み〉の痕跡なのでしょう。
それを壊すことなく温存する何かに頭をさげては、従うことで、それが可能になっているのかもしれません。
壊しては新しいものを作っては、すすむ東京を代表とする日本の近代のあり方とは別のものです。
進歩を旨とする場所では、わたしの挑戦を武器に、自分の価値を誇る、上昇への欲望を満たすことができます。芸術も、周囲を古臭い陳腐なものとして、否定しながら、未来への突破口として存在もできます。
でも、京都では、長い年月を積み重ねた伝統に、さらに営みを積み重ねることが、重要に思えました。
実力を頼みに己の価値が認められるべきだという考えは、馴染まないとおもいます。伝統とそれを支える階層性も含んだ社会構造は、そのようなひとには、深く垂れ込める雲のように重苦しく感じるかもしれません。
それは、ひとによっては、権威に感じるかもしれません。山出しの田舎者であるわたしには、到底な場所におもえます。
ここに、権威と権力のズレがあるのかもしれません。
個人が集団をつくるのではなく、集団の中で個人を感じ、集団を支える。世間を受け入れるか、キャンセルするか、その二つのベクトルの違いをあらためて考えさせられる京都旅行でした。