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サマリー画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか【アート・エッセイ】1〜5

はじめに

   ほぼ、毎日投稿すると、何がどこにあるのかわかりにくくなります。
【画廊探訪】は、索引をつくりましたが、
[画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか]、[画廊にいくようになって気づいたこと]も少しまとめておこうと思います。

[画廊の楽しみ方]を、いくつかまとめて掲載していきます。まずは、1回から5回です。

第一回


【画廊探訪】と銘打って、画廊でであったアーティストの記事を掲載しておりますが、画廊にいく楽しみ、理由みたいなものを、小出しに説明したいと思います。
 画廊といっても、私が訪問するところは、小さな画廊で、仕事の行きかえりに、顔をだせるようなところが多いです。
 画廊といえば、東京では銀座、なんですが、銀座の画廊というのは、土日にお休みのところが多いので、仕事の帰りだと間に合わないことも多いので、あまり頻繁にはうかがえません。
 そういうことで、ついつい近場を繰り返すことになります。

 おおきな繁華街でない街の画廊、ギャラリーというものは、こじんまりとした喫茶店に似ていて、マスターの個性やそこの街の色が染み出ています。

 ライブハウスのように個性がつよく打ち出される場所ではないですが、
一歩踏み出すと、新しい発見や、小さな出会いがあるかもしれません。

 今は、ネットで検索できますので、通勤沿線なんかを調べてみると結構、画廊、ギャラリーというものは見つかります。そこに行き着くまでに、すこし、苦労するのも楽しいものです。

第二回


 画廊になんで足を運ぶのか?と聞かれたら、ついつい口からでるのは、最近は、写真の技術が進んでいて、DMやネットに上がった画像がきれいすぎるということです。

 作品のタッチや、彩色のおもむきが、つかみにくいのです。デジタルで作ってデジタルだけで表現するならかまわないのですが、絵画なら支持体、紙や画布の性質との兼ね合い、もしくは、筆のタッチなどが、写真では消えてしまうことが多いです。木彫りなどでは、木目が透けることが多いのですが、木目が透けてるか透けてないか、大きな違いなんですが、写真では、わりと木目が省略されてしまいがちです。

 見方だよといわれることも多いですが、作品を目の前にしたとき、そういうところにアーティストが創作するときの勢いや、ためらい、工夫や悩みなどを思わせてくれることも少なくないです。

 そして、それを、<はてな?>と思ったとき、正直にアーティストに聞いてみればいいんです。作品は、アーティストから離れてしまえば、商品でしかないかもしれません。けれども、ひとが、表現するものという点を大切にしたいならば、画廊で作家にいろいろと聞くことは、表現するひとの苦労を直接、聞けるかけがえのない経験だと思います。

第三回


画廊になぜ行くのか、端的には、作品をじかに見るためです。

 筆づかいや、質量感、そういうものは、作品を直接みなければわかりません。さらに筆遣いや、色の乗せ方など、目の前にしないとわからないものがあります。

 油絵の渇き具合ででてくる日々や、塗りそこねに思える所、キャンパスの全面でなく、側面の部分にどのような手の入れ方をしているかなど、細かいところが、面白いのです。

 僕はアーティストの気持ちのシッポとか、勝手に読んでいます。なんで、こうなの、側面には仕事しないの?ここもう少しなんで塗らなかったの?とか、ここ開けているのはなぜ?とか聞くと、結構、面白い反応がみられます。

 案外、彼らの世界観というか、美術観が、そのような細部にあらわれていることも少なくないようです。

第四回


 前回は直接、絵に接するという話をしました。

 作品がどのようなものの影響を受けているかということに思いを巡らすのも、面白いものです。

 みなさんは、作品はどのような姿勢で作られているとおもって見ていますか。油絵の絵画など、西洋由来のものは、おおよそ、イーゼルを使った描いています。ですから、天地がだいたい固定されています。

 つまり、上下という重力の影響があるということです。たまに、ひっくり返して手を入れるという変わったひともいますが、おおよそ上は上、下は下という風に固定しています。
 また、大きな作品になると、下絵の段階では別でしょうが、立てて描くか、横にして描くか、それぞれになるようです。

 これが、日本画の場合は、床や水平な台において描くことが普通のようです。木彫りなどは、しっかり自立しないとならないので、重心のバランスは大事ですが、制作の段階では、彫りのアプローチとして、様々な角度から彫り進めているようです。

 作品が構成していく段階で、どのような角度から作家が作品と関わっていくのかも案外、興味深いことです。

 そんなことを、作家に尋ねたら、自分の様々な感受性が豊かになるきっかけをつかめるかもしれません。

第五回

 画廊にいかないと、わからないこと。

 それは、空間はいかに支配されてるかということです。

 この、ライブ感というか、空間が制御される実際は、そこに、足を踏み入れないとわからないと思います。

 美術館の展示においても、キュレーターが作品を、どのように展示するかということは、空間をどのように管理するかということでもあります。

 見やすい、展示といわれても、空間はどのように、割り振られているかということであったりもします。
 作品と、僕や私が、どう出会えるかというテーマとは、必ずしも別の課題でもあります。

 作品を見たことが、かならずしも、作品と私の出会いではなかったことを、自覚すべきかもしれません。

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