【画廊探崩No.084】余白を語る筆先の修辞法(レトリック) ―――Gallery Face to Face企画展 『About Face to Face=顔に出会うこと=』平林孝央作品 に寄せて―――
余白を語る筆先の修辞法(レトリック)
―――Gallery Face to Face企画展
『About Face to Face=顔に出会うこと=』 に平林孝中央に寄せて―――
襾漫敏彦
具象に映されるべき心の面持ちとは何であるか。何を読みとるべきかなのか。
始まりは、具象画の評論であった。知り合いの洋画家Nの個展で、かつて画廊を経営していたOと三人で話をしていた。鷹見明彦氏の不在が話題であったが、具象画の評論する人がいないんだよねという話になった。じゃあ、俺、やってみようかということになり、それが評論活動のはじまりだった。
平林孝央氏は、油彩の洋画家である。若い女性を主題とするが、彼女が現れる空間は、平林氏の想空間である。具象的に描くタッチは、遠目には平板に見えるものの人物の表現は細かい。襟足、髪の枝毛やもつれ、上気して湿った肌、筆の進行の乱れや盛り上げは、色のパーツでは伝えきれない何かを伝えようとしている。
ひとびとは、いかにリアルであるかを価値の基準とする。写真の登場は、絵画の意味を変えた。写真や録音は、そのものに思えるが、真に絵画以上にリアルなのか、写真は意図せぬものまで写し込む。それに対して、絵画は描いたものを組み合わせて構成される。選択と統合、そして筆先によるレトリック。写真が引き算だとすれば、絵は足し算であり、形づくろうとする意図こそが、リアルの源泉なのである。
平林氏の描く女性は、扉を空けて知らぬ国に紛れこんだアリス達である。異なる世界の組み合わせに生まれる多くのひずみ、段差を具象の力量を究めることで埋めようとする。けれども埋まらない断層の底から余韻が湧いてくる。余白にしなかった余白。平林は、余韻の画家である。
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平林さんのサイトです。
ギャラリーシークの紹介も載せておきます
ブレイク前夜でも紹介されています
平林さんの作られた動画です。