【画廊探訪 No.158】抽象の中に表出する鮮やかな具象――内藤瑤子作品に寄せて−
抽象の中に表出する鮮やかな具象
――Gallery Face to Face 15th Anniversary group exhibition PartⅡ 内藤瑤子出展作品に寄せて−
襾漫敏彦
街は、建物、道、人、瓦礫、様々なものが集まってそこにある。それぞれが、歴史をもち、根拠をもち、意味をもつ。眼に映るひとつひとつは、それとしてあるが、それでも、あらわれるのは、それらをつなぎまとめる何かである。だからこそ、ひとつのまとまりとしてその街はある。
内藤瑤子氏は、若い頃、長谷川利行の作品にふれ、高校を自主退学後、独学で絵を描きはじめる。彼女は、面に近い形を以って、原色に戻すかのように明快に色彩を施して、それを震わせるように表現する。魂と肉体の葛藤の響きは、身体の延長となった具材に顕われ、動機(モチベーション)は様々な方向へと展開する。
表現とは、ものを壊すように理解しては、それを再合成する作業でもある。分析、総合、もしくは、分解、そして生成。抽象とは、ものごとを織物の如くほどいては、その中の一本の紐をひきだしては、手にとり結び直す作業である。ものごとを支える構造に近づいていくことでもある。それは、高所から街を一望したり、道を歩いて構造を知り、部屋の窓を開けて風を感じる。人と語らい食事をして、歴史を知り風土と交わるようなものである。
そして、表現が始まる。内藤は、形でないものを形で、色でないものを色で、構造でないものを構造で表現する。生命は、まとまりをもち、変わりゆく。その中には、多くの生命がゆきかひ、またその中にも、小さな生命がゆきかう。そして小さな生命が生まれては消えてゆく。内容の変化は、構造の変化として、まとまりに拍動を、呼吸をもたらしていく。内藤は抽象の表現を以って、具体的な存在の生の息づかいを拾おうとしているようでもある。それは、理屈におさめきれない一つひとつの個別の生の力強さの表現でもあるのだろう。
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内藤瑤子さんのウェブサイトです。