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画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか(77)

画廊で出会った漫画アシスタントをされているアーティストの方との語らいから考えたことをつづけます。

作画にいかに熱量、想い、打ちこんでも、そういうものが、評価されにくい、売れるものは、そういうことと関係なく選ばれる、そんなことを主張されていました。

絵、絵でなくても、表現は、生きている世界の枠を超えようとする個人の創造性とつながっています。

けれども、誰かが求めるものを拵えあげ、そして、その誰かに手渡されるまでには、限りなく多くの人の手が介在します。
それが、市場原理や、商品原理になれば尚更です。
版画は、ある意味、印刷、マス・コミュニケーション、複製文化から、成熟したものです。
誰かの発意が、多くの工程を経て、多くのひとの目に晒されます。
また、美術作品も、額装したとき、額を用意する別の感性か加えられていきます。また、美術館でくまれる大家の美術展も、それが成立するまでに多くの業者が、資本が関わります。
フェルメールやダヴィンチに出会っているつもりでも、その邂逅は、無数のひとに支えられているのです。
評価する市場や大衆のもとにあらわされているのは、その協働の結果であり、制作者のオーラが、全てとはいい難いかもしれません。


そうは、いっても、協働してあらわれるものの中心には、個人の創造性の輝きがあると思います。

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