【画廊探訪 No.021】闇の粒子を両手に包んで ――佐藤恵美銅版画に寄せて――
闇の粒子を両手に包んで
―――佐藤恵美銅版画展に寄せて―――
襾漫 敏彦
先の見えぬ暗がりの中にする音は。神の訪(おとな)いであり、また生命の気配でもある。
銅板による版画は、でっぱりにインクをのせて印刷する凸版印刷である木版画と異なり、削った部分に残ったインクを紙に印刷する凹版印刷である。銅版画といえば、エッチングが有名であるが、佐藤恵美氏が用いるのは、メゾチントという手法である。
彼女が、師より受け継いだメゾチントは、線を刻んでいく手法でなく、ベルソー(ロッカー)という扇型の刀の弧の部分で、柔らかい銅板にインクのたまる小さな穴をあけていく。そして、今度はヘラのような道具で穿った小孔をならして平面に戻していく。実際には、このならした部分が白く浮かびあがることになる。凹版印刷でありながら、手をいれた所が白くなるというのは、木版画に通じる所でもある。
彼女とメゾチント銅版画と猫との出会いは偶然でしかないと思う。しかし、それから十数年である。作業机の小さな銅板のやわらぎに向かって、その年月、黙々と作業をしてきたのであろう。外からの光を吸い込んだ小さな闇の中におとなうのは、猫の気配と銅板と道具が奏でる音であろうか。
光と機械とレンズの今日、忘れられようとしているメゾチントは、一度(ひとたび)立ち昇らせた闇の粒子を、なだめて静かにさせるような印象をうける。それは、線を際立たせるのでなく、闇の中に潜む暖(ぬく)もりを包みこんでいくかのような手法であろう。
猫や家具を眺めて、忙から開放された瞬間、なくしていた心の粒が戻ってくる。メゾチントの織りなす闇は、眩(まばゆ)いばかりの光に、全身が曝され続ける現代の我々が強いられて生きる世界から、消されかねない暖かさにつながっているのかもしれない。
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佐藤恵美さんは、メゾチントの作家さんです。