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【画廊探訪 No.081】エクスー日野/絵画と画家と自然の実存 ―――深澤雄太個展『HINO BURNING』ギャラリー・マルヒに寄せて――
エクスー日野/絵画と画家と自然の実存
―――深澤雄太個展『HINO BURNING』ギャラリー・マルヒに寄せて――
襾漫敏彦
色や形、そして様々な想念をとりまとめる力が、一枚の絵の中に働いているように、それを描く画家にも画家にも崩れないように支える力が働いている。そして、絵筆を描き出そうとする自然そのものにも、それをまとめる力が働いている。
見えたままに描く、とは言っても、自然の統一を画家の統一が受けとめ、それが描画の統一へと置き直されていく。いくつもの力の場が交わりあっては様相が変化し、新しい世界が出現する。
深澤雄太氏は、洋画家である。彼は工業技術によって生み出された様々な技法に気をとられることもなく、又、愚直に油絵ぐにのみ己を賭けている。それは、こだわりというより、信念であり信仰である。溢れ出す色彩の奔流、油絵具のもつ潜在力の中にこそ思いの発露を流し込んでいく。
人は己を己に納得させるために永遠に問うのかもしれない。セザンヌは、サント=ヴィクトワールを描き続けた。クロード=モネは、繰り返し睡蓮を取り上げた。川村清雄は、海舟を偲ぶ絵を死ぬまで手放さず手を入れ続けた。強力な統一の力を前にして、自分を崩さぬためには、技術への一途な信念がもとめられる。
深澤雄太は、真直ぐに油絵具に向かった。それは洋画の伝統へと、日本の洋画の伝統、そして、おそらく近代絵画の父、セザンヌに真直ぐ通じる道だったのだろう。彼は、形より色彩をフォームとし、色よりも形で彩どる。その不調和こそが、彼の調和であり、彼の身体に宿る感性が、絵に宿る場所なのだろう。
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