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過去の自分に伝えたいこと

今日のnoteは、4月のnoteもくもく会テーマ、「過去の自分に伝えたいこと」について書いていきたいと思います。

当たり前の話ですが、現在の自分が今ここにいるのは、過去の自分があるからです。そして、何より私は、過去の自分に率直に、「ありがとう」と伝えたいと思います。なぜなら、今の私は、過去の自分がいたお陰で、本当に日々幸せに、自分の人生を生きることができているからです。

そんな私ですが、普段は普通のサラリーマンです。日々の仕事に追われ、子育てや家事にも追われ、息切れしながら過ごす毎日です。しかし、そんな状況でも、好きな同僚と一緒に仕事ができていたり、子供との他愛もない時間を過ごしたり、時に感じるそんな小さな幸せに、心から「あぁ〜ありがたいなぁ」と感じられています。

こんな姿を10代の頃の私が見たらびっくりすると思います。むしろ「びっくりする」と言うより「驚嘆する」レベルかもしれません。そのくらい今の私は、過去の私からすると異次元の世界にいると思えるのです。

振り返ってみると、高校生時代の私は、今からは想像できないほど、超ネガティブな人間でした。「自分なんか、どうせ何やったってうまくいかない。」「世の中に必要とされていない人間だ。」と本気で思っていました。

中・高での受験失敗。部活動でやっていた剣道でも成果を出せず、学業でもどんどん成績は今一つに。。こんな状況でしたので、平日は毎朝、本当に辛く感じていたことを覚えています。朝起きるたびに、「あぁまた今日も辛い1日の始まりだな。。」と。

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変化の兆しは、高校時代のあるエピソードから?

では、そんな私は、どのように今のようなポジティブなマインドセットを獲得していったのでしょうか?少し紐解いてみたいと思います。

高校時代のことで、今でも思い出すエピソードがあります。

私は、カトリック系の高校に通っていました。高校では、月に1回程度、体育館で全校集会が開かれていました。全校集会では、毎回生徒から代表者1名が全校生徒を前に、聖書の一節を朗読する時間がありました。

とある日の学級会、クラス担任から生徒に向けて、この聖書朗読の立候補を募る提案がありました。

誰か、やってみようと思う人はいませんか?

30名強のクラスメートは、誰も手を挙げません。当然私もです。

誰かいないの?

誰も手を挙げません。みんな下を向いたり、遠くの方を見たりと。

決まらないと、終わらないよ。

気まずいムードの中、それを打破するように、私は手を挙げました。

その時の光景を今でもよく覚えています。担任は、私が手を挙げるとは、夢にも思っていなかったようです。クラスで最も目立たないあの生徒が、手を挙げたぞ。といったような驚きの様子。クラスメートにも同様の異様な空気が流れたのを感じました。本当に"あの彼"で大丈夫なのか?と。

私は、いつまで経っても決まらないムードに、途中からとても苛立ちを感じていました。国語の教科書をスラスラと読む生徒、クラスのムードメーカーのような底抜けに明るい生徒、生徒会で全校的にも名の知れた生徒がいるにも関わらず、なぜこんな場面になるとみんな縮こまってしまうのか?と。その苛立ちから勢い余って手を挙げた、というのがこの時の経緯でした。

全校集会での聖書朗読は、目も当てられないほど酷いものでした。

読書週間がなく、国語を何よりも苦手教科としていた私の朗読は、それはそれは聞き苦しい、気まずい時間そのものでした。

体育館全体が異様なムードに包まれます。私のクラス担任、クラスメートには特に決まりの悪いものとなりました。

この経験は、今でも思い出されるほど、私の心に深く刻み込まれました。

恥ずかしい。
こんな経験、もう二度としたくない。

と、当時の私は深くそう思っていました。

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このエピソードから、今を振り返る

しかし、今振り返って考えてみると、このエピソードこそが、今の私の幸せのルーツになっているように思うのです。

私は、この恥ずかしい事件を経験をして以来、挑戦することに対して、必要以上に恐れなくなっていきました。

失敗するかもしれない、というより、大なり小なり失敗するだろう。
だけど、そもそも失敗したからといって私は何を失うのだ?

冷静に考えられるようになったのです。

こう考えられるようになったきっかけは、「これでもか!」と思えるくらいの大きな恥をかいたからなんだろうなぁと、ふと思いました。

実際、高校以降の私の人生も失敗の連続です。採用面接では数えきれないほど落ちまくりましたし、仕事においても、新人の頃はもとよりそれ以降も、大きな失敗をいくつもしてきました。

ですが、今も私のマインドにあるのは、こんな気持ちです。

挑戦せずに後悔するくらいなら、
失敗するかもしれないけど挑戦し反省しよう。

50歳(10年後)の私が、40歳(今)の私に伝えたいこと

ここからは妄想的な話です!果たして、「10年後の私」は「今の私」になんと言いたくなるだろうか?について考えてみました。

間違いなく言えることは、「ありがとう」と伝えたくなるだろうということ。でも、そもそも、何に対して「ありがとう」と伝えたくなるのでしょうか?

「今の私」は、「学生時代の私」に向けて、"ポジティブになるきっかけを与えてくれて"「ありがとう」と伝えました。

では、「10年後の私」は、「今の私」に向けてどんな「ありがとう」を伝えたくなるでしょうか?(なってほしいでしょうか?)

今の私になくて、将来の私にあって欲しいもの・・・。
わかりました!これです!

"ワクワクの輪より多くの人届けられるベースを作ってくれて"
「ありがとう」

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