読書が苦手な私が、「自分の頭で考える読書」を読んで考えてみた。 | 今後の読書の実践法。
今日のnoteは、読書について書いてみたいと思います。
なぜこのテーマを選んだのか?
それは、私が読書好きでありながらも、大の読書下手でもあるからです。
私は、とにかく本を読むのが苦手です。スピードなんて亀の速度。とにかく遅い!(妻にも笑われます。)そして、本を読んだはいいものの、読後にはほとんど「あれ?なんだったっけ?」というくらい読んだ内容を忘れちゃってるんです。(亀の速度なので、ある意味必然なのかもしれませんが。)
だからいつも思うんです。
読書なんて、もういっそのことやめちゃえばいいのに!って。(自分自身にね)
でもですね、やっぱ読書って、なんかやめられないんですよ。なぜか?
読書って、やってると心が自然と落ち着いてくるんです。忙しい日々にあっても、読書をしている時間だけは、優雅に、自分らしくいれる時間を提供してくれているような感覚に陥る。忙しい・ややこしい現実世界から少しだけ身を遠ざけてくれるような感覚を覚えるんですよね。私の場合。
最近、ようやく荒木博行さんの「自分の頭で考える読書」を読み切りました。この本、発刊された時からずっと気になっていたんですが、手をつけられていなかったのです。
なんせ、私自身。自分の頭で考えた読書なんてしたこと、これまで1回もなかったから。
ぶっちゃけ、怖かったんです。この本のタイトルからくる「もっと自分の頭で考えよ!!」というプレッシャーが。。。蛇に睨まれた蛙の如く、その言葉に身震いしちゃってずっと動けずに、はや半年が過ぎていたんです。
でも、今回一念発起して、この本を手に取ることにしました。荒木さんがこの本に関する講座を開かれるとのことで、flierで無料イベントをされていて、その際、この本にまつわる話もあって、なんか、「あ、もしかして、自分が思い込んでた内容とは、ちょっと違うんじゃないか?試しに一度読んでみよっかな?」って思ったんですよね。
で、実際に読んでみると、やっぱり思っていた印象とはだいぶ違ったんですw「もっと自分の頭で考えよ!!」みたいなプレッシャーは全くなく、なんでしょうか、もっとこう包み込むような感覚というか。
「あなたは、あなたのままの読書を続ければいいんですよ。」
そんなふうに背中を押してもらえた気がしました。
今日のnoteは、こんな私のこの本からの学びを振り返るとともに、読書が苦手だけど、続けていきたい私にもできる新たな実践法についても書いてみたいと思います。
本は読んでも、読まれるな
たぶん、この本で荒木さんが言いたかったことってこれなんだろうなって思います。だって、表紙めくったところにデカデカと書いてあったからw
実際、この本を読了した後、純粋に振り返ってみると、本当にこの一言に全てが集約されているように感じたんです。
私はお酒(ビール)をよく飲むので、この言葉の本来の語源(?)でもある「酒は呑んでも、呑まれるな」から、荒木さんが言わんとする「本は読んでも、読まれるな」の意味がなんとなく想像できるのですが、改めてこの表現が絶妙だなぁと感じました。
では、本に読まれた状態ってどういったものなのでしょうか?
本元である酒の例で考えてみると、理解しやすいかもしれません。
酒に呑まれた状態とは?
皆さんはお酒に呑まれたことはありますか?
私は、、、、はい、もちろんあります!!w
酒に呑まれるとヒトはどうなるのか?
酒によって脳や身体がハックされた状態になるんですね。
異様に饒舌になる。テンションが上がる。アホなことをする。(例えば、道頓堀に飛び込む、など。いや、私はそんな事しませんよw)。まるで、別の人間が"私"というガンダムの操縦席に座ったような感覚に陥るわけです。
これと同じような状態が「本に読まれた状態」ということです。
つまりどういうことか?
本によって脳や身体がハックされた状態。つまり、著者の意見や考え方に対し、なんの違和感や抵抗感なしに、そのまま受け入れてしまっている状態と言えるのではないでしょうか?
うわっ、これめっちゃ経験あるわ。。って、私、思うんです‥_| ̄|○
嫌われる勇気とか、Factfulnessとか、めっちゃそうだったなぁって思います。当時の私は、著者の意見に完全に呑まれていました。(まさに、本に読まれた状態。。)
読まれる読書が完全に悪いということではないのでしょうが、自分を見失ってはいけない、本の強力な引力に振り回されちゃいけない、ってことなんだと思います。それよりも大事なことは、本をもっと自分のペースで、自分らしく嗜むことなんだと思ったんです。
「役に立つか?」という問いに意味はない
第5章に書かれている一説です。
たまたまなんですが、ちょうどVoicyを聴いている時に、キングコング西野さんが、同じようなことを話されていました。
役に立つか?という議論は、少なからず私の脳内でも論争が起きていました。
この本に時間を投資する意義は?
この本を読んで何を得た?
読んだからには実践すべき?
こんな心の声といつも葛藤していたんです。
で、いつもこの問いに答えを出すと、「特になし」となっちゃうんですよね。それでまた凹む、みたいな?
じゃあそもそも、読書なんてやめちまえ!ってことになる。
でもそれって、なんか違う。そうじゃないんですよね。。どうしてそう思うかというと、そもそも「本を読む」という行為そのものに価値があるって思うからなんです。
西野さんもこの記事の中でおっしゃっていますが、「役に立つから読む」だと、結局仕入れられる情報に限界が出てしまう。だから、読む目的や意義抜きに、単純に面白そうだから、純粋に心がワクワクするから読んでみる!それでいいんじゃないの?いや、むしろそのほうがいいんじゃないの?って思うんです。
荒木さんの本の中では、「スノードーム理論」として紹介されています。
スノードーム理論とは、これまで本などを通じて得た知識が、その後なんらかのタイミングで、また思いもよらぬ形で、ふっとスノードームの中に舞う雪のように、キラキラと光る瞬間を作りだすというもの。
だからこそ、自分の頭で考える読書を行うことで、良質な雪の堆積物を作ることが理想的な姿だと思うんです。
基本はゆるく、でも時に自分なりのこだわりを持って
これが、今回私がこの本から得た学びです。
話は変わりますが、最近息子と空手を習っています。
空手の先生から教わったこと、それは普段は力は込めずに基本的な姿勢を整えておくということ。その上で、力を込めるべきポイントでしっかりと力を込める、自分なりの拳をしっかりと振り抜くということでした。
(例えば、拳を繰り出すタイミング。あるいは、相手からの攻撃を受ける止めるタイミングなど。)
読書も同じだと思うんです。
普段はただ単に自分のスタイルで、肩の力を抜いて楽しめばいい。だけれども、「これは!」と思ったタイミングでは、しっかりとそれを書き留めておく、頭の中で分解して考え、ポンチ絵にしてまとめてみる。あるいは、スマホにメモを残しておくなど、とにかくアクションを行うんです。そういった自分なりのアウトプットが、ひいては思わぬタイミングで、スノードームに舞う雪のごとく、キラキラと光るものを演出してくれることになると思います。
私の読書は図らずも基本ゆるスタンスです。ペースも遅いし、最後まで読み切らない本もざらにあります。(リアル積読、デジタル積読両方ともいっぱいある。。)
ですが、それでいいんだな、いやむしろ、わかっていてその状態にしておくことが、結果的に「自分の頭で考える読書」の実践にもつながるんだろうなと思いました。
ってなわけで、私の読書は、荒木さんの本によって何もアップデートされることなく(いや、そんなことない!w)今後も続いていきそうですが、これもまたいとおかし。マイペースな読書の秋を楽しみつつ、これからも時折、読書からの学びをアウトプットしていきたいと思います!
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!!