『パパの家庭進出がニッポンを変えるのだ!』からの学び
「いやはや、こりゃすごい本に出会ったぞ!」これが率直な感想です。
先週、ワーママはるさんのVoicyを聞いていて、「おぉそれ興味ある!」と思って購入したのがこちらの本です↓↓
一言で言うと、こんな感じ。
この本、めちゃくちゃ本質をついてる
今日はそんな前田晃平さんの著書、「パパの家庭進出がニッポンを変えるのだ!」を読んでみて、私が特に心に刺さったメッセージについて、自分なりの思考を深めてみましたので、それをnoteに書いてみたいと思います。
標準家族をアップデートする
みなさんは、"標準家族"と聞いてどんな家族を想像されますか?
・ 外で働くお父さん
・ 家を守るお母さん
・ 子どもは二人
あぁ〜そうそう、そんな感じね!って思われたそこのあなた👉
その考えは、恐らく「平成の時代」へ置いてきた方がいいです。「令和の時代」における標準家族はこうです。
そんなものは存在しない
著者の前田さんはこう言います。
「伝統的家族って、そんなに大切・・・・・・!?」
(中略)
日本の悠久の歴史から見れば異端に過ぎない〝伝統的家族〟にこだわっていないで、多様な家族・個人を尊重する社会の仕組みや価値観をみんなで共有することです
そう、もはや標準家族と呼ばれるようなモデルは存在しないのです。独身独り身だって標準家族、シングルマザー・ファザーの家庭だって標準家族、DINKsだって、LGBTQ+だって、事実婚カップルだって標準家族の1つとして考えられる時代になったということです。
ですが、、なぜか私たちは、この旧態依然とした標準家族の重力に引き寄せられています。
・ 外で働くお父さん
・ 家を守るお母さん
・ 子どもは二人
なんとなく男性は、一家の大黒柱なのだから、家族のためにお金を稼ぐことが果たすべき役割だ!とか。なんとなく女性は、家を守り、子どもを守り、保護者の代表として振る舞うことが美しい家族の姿だ!とか。どこか心の片隅で意識が働くのは、私だけではないかもしれません。
では、このような感覚を無意識に持ってしまうと、どのような問題が生じてくるのか?前田さんは、次のように言います。
「伝統的家族」という価値観の強制と、それを前提にした社会の仕組みが、私たち個人が「こうありたい」と望む人生の選択肢を奪っているのではないか、
ふーん、確かに、言われてみればそうです。だって別に次のような家庭があってもいいのです↓
・ 家を守るお父さん
・ 外で働くお母さん
・ 子どもは二人
でも、なんとなく違和感が出てしまう。そのモヤっとした気持ちこそが、"伝統的家族"の呪縛なんだなと思いました。
"自己責任"より"支え合い"
子育てをされた経験のある方なら誰もが感じること、それは子育ては、自分たちが想像していた以上に大変だということです。夫婦間はもとより、地域、社会とも支え合いながら子どもを成長させていく必要があるのは誰もが感じることだと思います。
一方で、日本には子どもを持つこと、子どもを育てることは、その両親たちの自己責任だ!と唱える方が少なからずいるのも事実。
本を読んでいて衝撃的だったのは、「自己責任大国、ニッポン」というチャプターに書かれていた貧困問題への意識調査結果です。(The Pew Global Attitudes Project 2007)
「自力で生きていけないようなとても貧しい人たちの面倒をみるのは、国や政府の責任である。この考えについてどう思うか?」という質問に対し、「そうは思わない」と回答した人の割合は、ドイツ、イギリス、中国などの国では10%以下である中、日本は、28%のアメリカを抜いてダントツの38%だったそうです。
日本は、外国と比べても特に自己責任論が強いんですね。だから家庭に負荷が掛かりやすい構造になるんだなと思いました。
子どもの問題 → 社会・地域で補助 → 賄えない部分は、家庭の責任へ → 家庭で検討 → 賄えない部分は、母の責任へ
そうじゃなくて、どんな状況でも子どもが中心、それをみんなが支えるイメージにしていければきっと素敵な世の中になる。この本にはそんなメッセージがたくさん含まれていました。
ヘルプを必要としている子どもがいる → まず、地域・社会が支える → 更に、父が支える、母が支える → 更に、祖父母も参加し、みんなで育てる
目から鱗だったのは明石市の事例です。ここでは詳しくは紹介しませんが、要するに私たち子どもを持つ親においても大切なことは、まず徹底的に家族(具体的には、我が子、奥さん)と向き合い、寄り添うことです。
我が子、奥さんが必要としていることは何なのか?それを解決するために、自分にどんなことができるだろうか?それを親身になって考え、アクションすることが何よりも大切だと改めて学びました。
未来は「村人A」なパパたちがつくる!
えっ?いきなり、なんのことですか?!って感じですよね?w
これは、前田さんが本の中で用いられた一般的なパパを指した表現です。こういったユーモアさも、この本の魅力です。
本の中で登場する「村人A」は、育児をドラゴンクエストになぞらえてパパの姿を描写したものですが、このストーリーを読んでいて、私の心にはある曲が流れました。
それはMr. ChildrenのHEROです。
たとえば誰かひとりの命と引き換えに世界を救えるとして、
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
そう、パパも怖いんですよね。家庭に進出することが。仕事のパフォーマンスへの影響、奥さんからの家事・育児に対する期待値とのギャップ、そして社会としてまだまだマイノリティである主夫の世界へ踏み出すことそのもの。
それは、女性が社会進出し、管理職を目指すようなもの。前例がない、自分になんてできっこない、そんな気持ちが現状へ踏みとどまらせようとするのだと思います。
こんな私たちに前田さんのメッセージが刺さります。
あなたが家庭進出した先に立つのは、これまでとはまったく異なる地平です。そこでは、あなたの家族が、そしてかつてないくらいたくさんの人たちが、あなたを必要としています。
そう、家族は、地域は、社会は、パパである私たちを必要としているのです。それが今は何もできない小さな「村人A」だったとしても。
私はこの言葉に、改めて主夫として生きていくことに勇気をもらった気がします。(これは専業主夫という意味ではなく、家庭と仕事を両立した、言わば兼業主夫としてです。)
だから私は、これからも「村人A」として、街の小さな道具屋で買った"ひのきのぼう"を武器に、小さなモンスターたちを相手に戦い続けたいと思います。
ずっとHEROでありたい、ただひとり君にとっての
つまずいたり、転んだりするようなら、そっと手を差し伸べるよ
前田さん、素敵な本を世に出していただき、ありがとうございました。影ながら私も応援しております✨✨