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世界最高のコーチがコーチングしても全く意味がないお話し

巨人軍の桑田二軍監督が「誰でもコーチになれる」というようなことをおっしゃっていた件についてお話ししたいと思います。

まず、桑田二軍監督は引退したあと大学に通われて、改めてスポーツを学びなおした理論派として知られております。彼は次のようなことをおっしゃっていたように記憶してます。「選手が調子悪くなると、コーチは『身体が開いてる。ボールをよく見なさい』と言うけど、そんなんだったら誰でもコーチ出来るよ」と

つまり、抽象的で概念的なアドバイスや根性論は誰にでも言えるということをおっしゃりたいのではないか?と感じました。私も同感です。
私が在籍していた中学の野球部では非論理的なことが多く、理由は不明でしたが「走ってろ」と言われ部活開始早々から終わるまでずっと走らされた記憶があります。※恐らく真夏に3~4時間走ってたかと。。

野球部在籍中に技術的なことは教わった記憶がなく、とにかく練習・練習で体感では363日練習してた感じでした。(1月2日、3日は確実に休みだった)
たちが悪いのは県大会で優勝したり、全国大会出るような成績を残していたから周りも「正しい」ような感じでとらわれてたのかと思います。
この「たちの悪さ」はビジネスの世界でもあります。
とにかく量(≒時間)をやれば目標は達成できる的なあれです。

確かに、具体的な指導をしなければコーチがいる意味がないのは確かそうでだと思います。コーチはなんらかの使命を負い、選手に役割を果たしてもらうために能力を伸ばす手助けをします。ビジネスの世界では上司がコーチであり選手が部下なのかもしれません。
しかし、その前に「コーチング」とは何かを考えてみましょう。

「コーチ(coach)」という言葉は元々「馬車」が語源で、人を目的地まで運ぶ役割という意味でコーチという言葉を使うようになったそうです。自分を成長させたい、ゴールに到達したいと『行動する』人に対して、ゴールへ到着するまでの手助けをする役割と言い換えることが出来そうです。
逆説的に考えると「成長させたい、ゴールに到達したいと口頭では言うけれど『行動しない』人にコーチは無力である」と言い換えることが出来るかと思います。コーチから上手くなる方法として「単純なフィジカルトレーニング」を伝えられるかもしれません。勉強であれば「良質な構文を100個暗記してください」と伝えられるかもしれません。ここでコーチから伝えられたことは「能力や才能」に因果関係があるわけではないです。「意思を持ってやる/意思を持ってやらない」この2択です。「自分を抑制し自制を保ち取り組む」非認知能力の「自律」にあたるところです。成長しない人は「意思を持って成長しない」という選択をしていることを本人は気付かないのです。

ことわざにも「馬を水辺に連れて行けても、水を飲ませることはできない」というものがあります。
これは、口では「自分を成長させたい、ゴールに到達したい」と言っているが、改善点を改善する『行動をしない』人にいくらコーチングをしても意味がないということを伝えてます。

大前提として、意欲や行動力(出力)がない人には、どんなコーチングも効果を発揮しない のです。これは1兆ドルコーチ シリコンバレーのレジェンド ビル・キャンベルの成功の教え」にも書かれています。
「コーチ(上司)が出来る限界は「上手くなる方法」を伝えることであって、行動するのはあくまで選手(部下)です。この辺りを取り違えると「上司が消耗して機能不全になる」現象が生まれます。評価制度もリンクさせて生産性を高めていかないと行き詰るのは目に見えてます。

なので「雇用制度改革」は必要なのです。
利己的な人は「自分にデメリットがあること」には敏感です。

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