見出し画像

私のルーツは何処に?

平成中期、平成の10〜20年でどうだろうか。
生まれて小学生半ば。

小学生頃だろうか、初めて人を好きになったのは。
もちろん青春だとか言うにはまだまだ幼くて、どうして誰を好きになるのか、あの好意は友好的で憧れでもあったなと度々思うばかり。

初めての恋は小学校1年生。髪の長い女の子。
髪が長くて可愛いアクセサリーを付けている女の子に憧れを持っていたからだと思う。
男だとか女だとか分ける理由もわかっていない中ではもしかしたらあれこそが純粋な恋慕なのかもしれない。
しかし、同級生の健康的なおちんちんに目が行ってしまったり、少し前には仮面ライダーギルスに悶々としていた。
何を感じていたのか、どういう経緯があったのかはもう覚えてなんていないけれど、あれこそが下心の始まりだと思う。

もちろん、というと少しおかしいけれど友達はやっぱり女の子が多かった。姉がいて近くには女の子の同級生とその姉しかいないということもあってか、ガサツで横暴な男の子には辟易していたし、男の子の遊びには興味が湧かなかった。いい子であろうとしていたり父母の教育のせい(おかげ)でもあってか、頭を使う事が好きだったのだろう、今でも知能を驚かれるほどには頭を使う事が好き。その他の課題が多すぎるけれど。自己顕示。
それ故か、いわゆるおままごとをしてみたり、商品を考えて五ミリ方眼のひとマスに絵を描いてはその取引に勤しんだりした。

かっこいいものも好きだったように思う。横暴なのは私自身もだっただろう、支配的な、いわゆる男性的な事に心奪われたりもしていたが私自身に抑えられ霧散してしまった。
将来の夢はパイロットになる事だったね。

本当の私はどこ?真実は?

なぜ、と考えるとグルグルとどこまでも行ってしまうが正解はもちろんなくて分からないことばかり。価値観と同じで矯正が出来るのかもしれない。男だとか女だとか、無に帰すのかもしれない。かもしれない。
それについては今後のニューエイジに期待を寄せて、私はとにかく生きるのみ。

小学校3年生の頃に初めて男の人が好きだと自覚を持ったように思う。つまり、ゲイの自覚。
担任のワイルドな脇毛に目を奪われていた。人柄が好きだとか何をしてもらったとかそんなことではなくて、あの背徳感がたまらなかったのだろうか。うなじに体格に、それこそ悶々としていた。
父が単身赴任でいなくなったのもちょうどその頃で、前回父を探していると言ったように担任に心奪われていたのかもしれない。かもしれない。

事実は事実で、その理由を探ることはもはや無意味。男の人しか愛せない今の私が真実そのもの。

その頃から女々しくあり、スカートに憧れたり虚弱で守ってあげたくなるような女の子になりたかったのは覚えている。
小学校3年生ともなれば子供社会の構築はお手の物で、特異な目で見られることはもちろんあった。友達はそれを受け入れてくれたし、私はそんな事でへこたれるような男ではなかった。自信に満ち溢れていたね。成績も良ければ友達も多い。
今、死にたくてたまらないなんてそんな今が信じられないほど。

それだけの話。だから何とも言えるね。

不純で不器用な恋をするようになるのはまだ幾分か後の話。
女の子はいいな、男の子に恋をされてなんて思うのもまだまだ先の話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?