二元論は正反対の物同士が対立してこの世界が出来ていると言う話だ。でも正反対の物は元々一つの同じ物から出来ている。正反対の物は同じ物の別の姿なのだ。だから正反対の物同士は理解する事が出来る。元々同じ物だったからだ。そして正反対の物同士は対立もするが、協力も出来る。二元論が対立ではなく協力した時に物事は上手く行く。
この世界は二元的に出来ているそうだ。2つの相反する物が対立して出来ている。でもそれは対立しながら協力している。2つの物がぶつかり合う事でその2つの間を自由に動く事ができる。自由とは2つの相反する物同士のせめぎ合いなのだ。対立する物が無ければ自由は存在しない。それは自由ではなく混沌だ。人間には2つの相反する正義がある。強さと優しさだ。この2つが対立しながら協力する時人間は自由になれる。人は自由になる為に生きている。人はどこまでも自由を求める。2つの相反する物の片方にだけ偏ったら
正義とはバランスの事だそうだ。全体のバランスを考えた物が正義であって、偏った物は正義ではないらしい。思えば考え方が偏ると、どんな法則もどんなルールもどんな秩序もどんな哲学も成立しなくなってしまう。全体のバランスが保たれていなければ何事も上手くは行かないのだ。行動や思考が上手く行かない時は考え方が偏っている。全体を見てバランスを保つと答えが見えてくる。人生や世の中の出来事に答えが見えない時はバランスを意識すると自然と答えが浮かんで来る。時には色々な事をあきらめないといけないよう
何事もバランスが大事だ。どんなに正しい事でもバランスを失っていれば悪い結果になる。逆に言えば悪い事でもバランスがとれていれば良い結果になる。バランスは極端だから悪く、ほどほどだから良い、と言うものではない。時には極端なバランスでなくては釣り合わない時もある。その場その場、その時々で丁度良いバランスは異なる。物事の何が正しくて何が間違っているかは分からない場合があるけど、バランスがとれているかどうか、と言う所に注目して見ると、正しいか間違っているか見えてくると思う。
ロバは幸せか?アリは幸せか?スズメは幸せか?バカな方が幸せだ。バカになろう。この世の真の姿は何もとらえられない。何とでも言える。だからこの世の真の姿を知った人はバカになれる。だから幸せになれる。バカになると幸せになれる。動物みたいに。バカと言うのは無知の知だ。ソクラテスだ。何にも分からない。全ては変化する。だから、これはこうだとハッキリ言えない。だからバカなのだ。だから先の事が分からず先の事を考えないから幸せなのだ。これが知恵の実の効果を無効にする方法だ。
因果関係と言う物は必ずそうなると言う物だ。原因と結果が結び付いている。もし物事が因果関係通りにいかなかったとしたら、それは別の何か予測出来ない要素に邪魔されたと考えるべきだ。別の要素が邪魔したから結果が変わった。別の要素が邪魔しなかったら結果は変わらない。因果関係自体が間違っていた訳じゃない。で、現実世界は常に予測不能な邪魔が入る。だからいつも計算とズレる。でも計算通りにいかないから人間は救われる。先が見通せないから毎日元気でいられる。因果関係で先を見通して生きていたら苦しく
この世界には正しい考え方なんて無い、と言うのが悟りに近いのではないかと思う。物理の法則は正しいと思う。しかし計算と実験結果はズレるだろう。現実世界は計算外の何かが結果に影響するからだ。この世の全てが見通せたらさぞかし苦しいだろう。神様なんて神様を辞めたくならないのだろうか?人間は愚かだから全てを見通せない。だから幸せに生きられる。分からない部分があるから人間は正気でいられる。全てを見通せたら避けられない運命に苦しむだろう。死は避けられない。しかし年中死の事ばかり考えてたら苦し
人間は善い人間になろうとして成長していく。そしてそれが行き着く所まで行くと、今度は折返し、スタート地点に戻らなくてはならなくなる。帰り道は自分の中の悪い部分を認めていく。善い人間になろうとした前半と逆の道を行く。そして自分の中の悪い部分を全て認められるとゴールとなる。多くの人達は折返し地点からスタート地点に戻りたくなくてそこにとどまろうとする。自分の中の悪い部分など克服したと思っているからだ。そして他人の悪い部分も認めない。人間が善だけで完成しないのは善だけだと他人を許せず自
空仮中と言う物は諸行無常と関わっている。空仮中を理解出来ると、自然と諸行無常の考え方にたどり着く。全ての物事は要素の集まりであり、縁によって要素に変化があれば変化が起き、要素に変化が無ければ変化は起きず何も変わらない。しかし、この世界は常に様々な縁によって要素に変化が起きているので、諸行無常と言う事になる。諸行無常は儚いような、全ては壊れてしまうような残念な世の中の見方のようだけれど、そう言う面もありながら、未来は分からない、悪い事が起きたり良い事が起きたり、何が起きるか分か
知恵の実を食べると因果で物事を考える能力が身につく。因果で物事を考えると必ずそうなると考えるからその考えに固執する事になる。そうするとその考えに執着する事になる。そうするとその考えから離れられなくなる。もしお金がなくなって貧乏になったら苦しむだろう。病気になったら苦しむだろう。死ぬのは苦しいだろう。そんな事を思い悩むようになる。でも現実は因果の通りにはいかない。何が起きるかは予想がつかない。その方が現実的な考え方だ。だから因果で物事を考えない方が幸せでいられる。因果で物事を考