2024/11/02 "焼き立てパン"とトリミング
今日は夫の仕事が無い日なのでまったりな朝。
旧友3人と飲んで帰ってそのまま寝てしまった夫は寝ぼけながら追い炊きボタンを押して、缶コーヒーを求めて冷蔵庫よたよたと向かっていく。
昨晩夫は帰宅早々、カップスープが飲みたいとリクエスト。私も丁度スーパーに行きたかったので、閉店間際のマンション1階についているスーパーに急ぐ。あと5分で閉店時間なのに、なかなかエレベーターが来ない。焦りつつもギリギリ入店はできるだろうと。エレベーター到着の音が夜のエレベーターホールに静かに響き、携帯をいじりながら一番手前のエレベーターに急ぎ足で向かう。気配を感じて顔を上げると、私より少し若いであろう女の子が返ってきたところだった。黒いミニスカートに黒のロングブーツ、黒いニットからは肩が少し見えている。どこかで見たことのあるサッパリとした化粧っけの無い顔。向こうも私を見て、絶妙な表情をしているのを見て、平日朝にエレベーターホールでよく会う高校生だと気が付く。大人っぽくて気が付かなかったが、よくよく見てみると顔の肉付きの良さや、目のぎらつき、疲弊感の少なさが彼女が若いということを明確に表していた。
私と大して変わらないと思っていた黒一色の彼女は規則的な時間に制服を着て学校に向かう高校生で、私はリモートワークで自由気ままに働きつつも妊婦の生活不自由さと家事と夫との関係構築に追われる30手前。
まだまだ20代で若いと思っていたが実はそうではないらしい。プロジェクトでも一番下か下から二番目になることが多く、自分の老いをすっかり忘れていた。理不尽に鈍器で殴られたような気分だ。
エレベーターで1階に向かいながら何となくそう思った。別にああいう服装をしたいわけでも夜まで遊び歩きたいわけでも無ければ、高校生に戻って青春したいわけでも、恋愛したいわけでも無い。むしろ、そういったものから逃れたくて結婚も妊娠も急いだ。それなのになぜかピリピリした発疹のようなものが心にぷつぷつと出てくるような感覚に見舞われた。
私は生き急ぎすぎてしまったのだろうか。もっと20代でやっておくべきことがあったのだろうか。やり残しがあるのだろうか。結婚前に抱えていた焦燥感や絶望が再燃する気がした。今の私にそれらを解消できる術はあるのか。子供を身ごもり、人生においてかなり自由が少ないであろう期間に突入しようとしている私に何ができるのだろうか。自由が嫌で結婚も子供も求めたのに、自分の選択に責任を持つことが耐えられなくて選択の責任を分担する相手を求めたのに、生きている限りずっとこの息苦しさや動機を抱えながら生きていかなければならないのだろうか。
スーパーにはドンピシャなカップスープが無く、やはりコンビニに行けばよかったと思った。今更、コンビニに向かうのも面倒なので適当に4~5種類購入して帰宅。
夫はソファの上でいい感じに酔っぱらっていて、私が手に入れたかった生活はこれなんだと自分に言い聞かせる。相手のために貢献している、相手が自分よりも少し堕落している、相手が私よりも少し堕落していることを認識している。ほんの少しだけ夫よりも夫婦関係の維持に努めていることに、満たされて安心感を得ようとする私は愚かなのだろうか。こうしていれば突然離婚を突きつけられることはないと、たかをくくることは私の未熟さと不安定さを表しているのだろうか。
お湯くらい夫に注がせればいいものを、丁寧にかやくを入れてお湯を注ぎ蓋押して夫が堕落しているソファのサイドテーブルに置く。
満たされる。こんなどうでもいいことに、他人から見たらなんともないようなことで、私は自分がここに存在してよいと、ここにいるべき人間なんだと証明している気になっている。役割が無ければ私はここにいてはいけないのだろうか。役割の無い私が生きる場所はあるのだろうか。
追い炊き機能は優秀であっという間に湯船から薄っすらと湯気が立ち込めはじめる。夫は私が女の子を身ごもってくれたことへのプレゼントだと言って買ってきたシャワーヘッドをさっそく取り付け始めて、4パターンの水の出方にきゃっきゃしている。シャワーヘッドが欲しかったのは夫だ。夫は私を洗脳しようとする。自分が欲しいものを恰も私が欲しいものかのように買い与え、自分の物欲を満たす。それに飽き足らず、私に物を買い与えることで自分がここに存在してよいことを証明しているように思える。私と一緒だ。それはそうだ。私の夫なのだから。
私は読書をしに外に出ると伝え、パンが焼きあがる時間に帰ってくるからゲーム楽しんでていいよ、と。私は夫だ。朝からゲームをしたいと思っているかも知らないが、夫の好きなことをしていい、夫は好きなことばかりしている状況を作って自分を安堵させる。自分のために相手にやさしくすることはそんなに愚かなのだろうか。
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