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2024/11/01 "カレー弁当"と胎動とムル

<朝御飯>
・ハムチーズサンドイッチ2つ

<御弁当>
・カレー(残り物)
・炒り豆腐(残り物)
・チャーシュー(残り物)

行田家夫の朝御飯・御弁当(2024/11/1)

今日は家の食材が尽きたこともあり、手抜きをさせてもらいました。
きっと夫はこんな食べ合わせの悪い御弁当でも文句を言わずに食べてくれると思います。広い心に深謝。

昨日から妙に胎動が強くなり、胎動の有無で生存確認できるくらいになった。
やはり20週にもなるとだいぶ存在感がある。そして、胎動を感じるたびに母性のようなものが、にょきにょきと成長しているような気がしてならない。いや、打ち出の小槌を振っただけで小判がわっさわっさ出てくるような感覚が近いでしょうか。胎動を感じるたびにもっさりと私を構成する要素が母親に代わっていくような感覚。削り取られている要素が何かはまだわからないけれど、確かに私という生命体の要素が全く新しい別のものにとってかわられていく感覚がある。
なんとなく、マグやグンに抱く感情に近い気もするが、それを認めることが怖く考えないようにしている。私は誰がどう見ても初代飼い猫であるマグを贔屓している。グンも甘えん坊で私が大好きなところが堪らなく可愛く、おそらくグンを抱っこしている時間の方がマグといる時間より長いが、それでも、マグが来たらマグを優先するし、帰宅して1番に探すのはマグだ。
これは、チンチラのショートとムルでもそうだった。ムルは私の初代チンチラであり、初代ペットでもある。とても大切でかけがえのない存在で、辛い新入社員時代に生き延びれたのは間違いなくムルのおかげだった。そんなムルの友達にと飼い始めたのがショートだ。ショートを飼ってからはお世話も2倍以上になり大変でなんとなくムルと過ごす時間も減ってしまった。それでもムルが大切で、ショートはおまけ程度にしか可愛がれなかった。ある朝、ムルがケージのマットの上でぐったりとしていた。抱きかかえられるのが大嫌いなはずなのに動かなかった。ムルは冷たかった。ムルが居なくなってからはショートを可愛いと思えなくなった。ショートの面倒をいつまで見なければならないのだろうと考えるようにもなった。ムルに会いたい。ショートの顔を見るとムルを思い出して辛くなるから、ショートと触れ合う時間は限りなく減った。ただ、掃除をして餌をあげる、それだけになった。ムルに会いたい。
胎動を感じながら愛おしく思い、夫と子供との生活について話す度不安がよぎる。きっと今私のお腹にいる子のことは文句なしに可愛がるんだろう。じゃあ、2人目3人目は?夫も私も3人くらい欲しいと思っている。でも、私は2人目以降を可愛がることができるのだろうか。マグだってムルだって、どうしたって私の中で1番なのだ。それがいけないことだとわかっていても自分を律することができない。グンみたいにガンガンアピールして思いっきり甘えん坊でなついてくれれば、それなりに可愛がれるだろう。でも違ったら?
まだ1人も生んでいないのに、こんなことで悩むなんてどうかしている。でも、やはりムルに会いたいと思うたびにショートを心のどこかで恨んでいることに気付き、自分の勝手さと残酷さで人間を複数人かわいがるなんてできるんだろうかと不安にならざるを得ない。


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