見出し画像

生き物を飼うことは、「祈り」に似ている

植物とメダカを育てています。育てるっていうと、なんだかハートフル感が否めない…。でも私の「育て」はそういう感じではない。愛情がないかというと、それはよくわからなくて、でも日々の暮らしの中で気が付くことは多くあり、彩を添えてくれているのは確か。

1年前、私だけの森があったらステキ!と思いついて、植物をチマチマ買い集めたのがはじまり。で、気が付いたら私の森は図々しくて訳わかんないビジュアルのやつらばかりになってしまった。ヘンテコなやつら!ヘンテコな森!想像してたのと違う!でも、あいつらにもあいつらなりの考えや日々の機嫌というものがあるから、そういうのも不気味で面白いと思う。モノ言わぬ彼らだからこそわかることもあるのかもしれない。

植物は図々しくてしぶとい。根が生きてたら葉が枯れてもまた復活する。でもメダカ(生き物代表!)は繊細で儚い。メダカは、環境が整ってないと死ぬ。植物は環境を作れるけど、生き物は環境が無いと生きていくとが出来ないのです。つまり、メダカを飼うということは環境を作るってことだと気が付きました。

良い環境作りが出来てるかどうかはメダカの様子と生き死にでしか今のところ測れないから、死んでたら嫌だな、生きてるかな?と思って鉢を見ます。生きててほしいなという気持ちがもちろん大きいんだけれど。

そういう常に生き死にが関わるハラハラした感じを、人に伝えるのは難しいな、と思っていたらすごい本に出会った。

『生き物を飼うことは、「祈り」に似ている』

という帯が巻かれた柳美里さんの「飼う人」。俄然読みたくなって私買う人。まだ読んでないんだけど、この帯文はまさにメダカの生き死にのハラハラする私(どうか生きてますように)を絶妙に表現してくれていると思ったのです。

という作文を書きつつも、メダカは生きてるのだろうかと昼間生きて泳いでいるのを見つめていたにも関わらず、この瞬間もハラハラしているのです。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?