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東京医大は反省しているか
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20181029/0020635.html 東京医大の不正入試に対して医学部入試における女性差別対策弁護団が第一次請求を行った。 私はこのニュー…
Die Tänzerin Madoka Sugai
2012年ローザンヌ国際バレエコンクールで一位の快挙を成し遂げた菅井円加さん。マスコミは彼女をもてはやし彼女は一躍有名になった。 https://youtu.be/vb-rbWIs70c ユニ…
東京医大は反省しているか
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20181029/0020635.html
東京医大の不正入試に対して医学部入試における女性差別対策弁護団が第一次請求を行った。
私はこのニュースを見て違和感を感じた。元々この弁護団は昨日請求を渡しに行くとフェイスブックで宣言していたので大学側にアポイントメントを入れていたのだと思う。なのに受け渡しは大学の校門の前。敷地
欧州最大の日本人街デュッセルドルフ② 〜それでも鳥が好き〜
日本人街を抜ける頃にはすっかり鬱気分になってしまっていた。この日はずっと前に登録していた転職サイトから新着求人のお知らせが入っていてたまたま開いたら前職と同業の企業の求人がたくさん載っていた。「日本に帰って同じような仕事して落ち着きたい。また独身OLに戻りたい」なんて妄想が膨らんでいた。私はすっかり日本の悪いところを忘れていてそれがデュッセルドルフの日本人街で現実に引き戻されて心の居場所を見失って
もっとみる欧州最大の日本人街デュッセルドルフ① 〜日本を思い出してウツに〜
バスの長丁場で失った体力をなんとか回復させようとなるべく遅くまで寝てからチェックアウトする。受付で「部屋に置いてあった水飲んだ?」と聞かれる。「飲みましたけど」「はい、4€!」高え、ウェスカムドリンクかと思ったのに。私は疲れ果てて判断能力が劣っていたようでトラップにハマってしまった。くそう。軽いと思って背負っていたリュックもズンと肩に食い込んでくる。ここからは少しペース落とそう。あとはアーヘンに行
もっとみるハンザ同盟都市ハノーファー〜そこはかとなくラグジュアリー〜
ツェレからハノーファーまではベルリンで行ったらCゾーンみたいな扱いで10€弱で移動できます。
あっという間にハノーファー駅へ。
リューネベルクやツェレと違ってでかい。そしてそこはかとなく金持ちな感じ。なんだろう、このラグジュアリー感。そうだ、スプレーの落書きがない。ベルリンはいつでもどこでも落書きがあってウェイな感じを醸しているけど田舎くさくてあんまりお金ない感じにまとまっている。
ここで
北ドイツの真珠ツェレへ② ツェレ城は工事中
電車に揺られて小一時間。ツェレ駅に到着。去年ハンブルクに行った時もそうだったけど、夏の終わりは天気がコロコロ変わってシャワーのような雨が降ったりやんだりするそう。そして雨上がりはクソ寒い。
駅に降り立つと曇天。
街の中心部まで駅から15分ほど延々と歩きます。
ツェレ城や!と思いきや改装中で覆いが被せてあり、中にすら入れない。
仕方がないので世界最古の木造建築を目坂して街へ。と思いきや雨が激しく
北ドイツの真珠ツェレへ① 〜悲しみの貨物駅ユルツェン〜
リューネベルクから北ドイツの真珠と呼ばれるほどに美しい町ツェレへと向かいます。
バスはないのでドイツ鉄道で19.2€。ニーダーザクセンのお馬と黄色い列車がメルヘン。
ホテルのビュッフェで奪ってきた食料を食べるよ。昨日切って持ってきたパプリカは腐っていたよ。
ユルツェンという駅で乗り換え。駅がディズニーランドのようにメルヘン。
次のようなパネルを発見。
ユルツェンの貨物駅は1945年
Die Tänzerin Madoka Sugai
2012年ローザンヌ国際バレエコンクールで一位の快挙を成し遂げた菅井円加さん。マスコミは彼女をもてはやし彼女は一躍有名になった。
https://youtu.be/vb-rbWIs70c
ユニクロのCMにも出て美しいジャンプを披露している。
https://youtu.be/tEYoyvVbigo
ローザンヌ国際バレエコンクールではクラシックとコンテンポラリーで評価される。コンテンポラリー
我慢と突拍子もない行動
パワハラで心を病んでから突然日常から逸脱するような行動を取るようになってしまった。
ドイツに来たものそうだし、学校を急に休んで日本に帰ったり旅行に行ったり。
計画性がなく周囲を驚かせるし、自分もとても恐ろしい気分になるんだけど「やらなくちゃ、行かなくちゃ」という強迫観念に囚われていて止まらない。抑うつ状態ではなく双極性うつなんじゃないかと思うくらい時々ハイな行動がある。
今回は朝起きて30
いつのまにか「やらなきゃいけない」の沼
私はこの国に滞在するにあたり学校に通うことが条件だったので通っている。
鬱になり社会との関係も希薄になるため、学校にきちんと通うことは私にとってリハビリであり、この社会から孤立しないための生命線でもあった。
最初の半年は満足に通うことができなかった。薬も最大量で飲み続けており体力が持たず気分が落ち込んで通えなかったり、半日の授業で頭が痛く痛くなり家に帰って倒れ込んで寝たりした。
ものの覚えも
職場にいられることに感謝しなければならないのか
私が最後に人事課の役職者と面談した際「今の環境に感謝しなければならない」と言われた。もう一人の役職者からは「俺たちも含めて誰にもなんの責任もない」と言っていた。
この2つの言葉が私をつなぎとめていた最後の糸を断ち切り、私は休職、そして退職をした。
無職になって初めて仕事があることのありがたみを感じる。身分が保証され定期的にお金が入ってくる。素晴らしいことだ。
就職できたのは会社が選んでくれた