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なぜ国営企業は悪で民営化が正義なのか?サステナブル&イノベーション時代に考える国の関わり方

今、世間では環境問題を含むSDGs、持続可能性や資本主義について活発な議論が交わされるようになっている。そこでの大きなテーマは、資本主義を前提とした社会システムでは、地球や社会、そして人類は未来永劫にこの状況を維持することはできない。すなわち、我々が今、当たり前のように享受している今のインフラ、環境、そして幸せは持続可能ではないという危機感からくる、現状システムのアップデートの必要性が論点になっている。

資本主義の新しい形が求められているという話もその中核をなす議論であるが、私なりの考えは著書『サステナブル資本主義 5%の「考える消費」が社会を変える』でも示している通りです。

では、今日はこれまで大前提とされていた資本主義というルールが、未来においては前提とはならないということを踏まえて、1つ個別論として現代社会における国営企業の有効性について少し大胆なアイデアとして考察してみたいと思います。

国営企業がなぜ必要だったか

とあるインフラ、もしくは産業を起こす際に、十分な資本が不足している場合、国家資本がその役割を担うというケースがあると思います。そして、単純な民間資本のみによる自由競争においては、外国資本の参入による国家インフラの安全などの論点もあるのでしょう。日本のみならず、多くの国で国営企業という国家資本を用いた企業体は存在しているように思います。代表的なケースが、エネルギー、通信インフラ、交通インフラ、等です。

社会主義国家においては、国家資本の活用が前提であり、社会主義 v.s. 資本主義、ソ連 v.s.米国の中で、社会主義国家の限界も垣間見た国々が、国有企業の最小化というテーマで近年、民営化を目指すようになりました。多くの国で通信企業が当初は国営企業だったが、民営化し、IPOを目指して行ったのは、日本におけるNTTやDocomoの例を見るまでもないと思います。

国営企業の問題点

もう一つ国営企業が徐々に最小化され、民営化されて行った理由があるように思います。国有企業の大きな問題点がそこに指摘されます。自由競争にさらされていないため、また国家の管理下にあるため、どうしても官僚組織化しやすく、組織やビジネスの効率性が十分に高まらず、サービス品質の向上、価格低下といった消費者メリットを十分に発揮できないという問題です。

加えて、他国では既に民営化をしているケースでは、海外企業に比べて競争力が十分ではないというケースも出てきます。そうすると、国家の競争力を担うべきインフラ産業において、国営企業という形態を維持し続けることによって、国民、国家、それぞれにデメリットが生じる可能性が高句なってくるケースもあります。

そうして、世界中で民営化の波が押し寄せ、日本も例に漏れず多数の産業領域において民営化がなされてきました(※以下のリンクwikipediaも参照)。「資本主義のルールを前提に、いつまでも国営企業であるのは時代遅れである。原則、全ての産業は民営化していくことが望ましい。小さな政府、小さな国家。民間にできるものは民間に任せましょう」という道理が、近代資本主義国家においては当たり前になったように思います。

資本主義の課題と民間企業のデメリット

行き過ぎた資本主義は、資本家たる株主へのリターン創出のみを目指し、富野分配が十分に社会や従業員になされず、そして地球環境という希少アセットを蝕んできた。それだけ資本主義のルールは圧倒的で、その力を活用すると、一部の大成功事例を生み出すことが可能になった。

その代表的な例が、情報革命以降ではGAFAMと呼ばれる巨大IT企業です。

資本主義は搾取構造を野放しにし、格差社会を助長し、環境を破壊する原動力となるルールを提供している。そういう問題意識が芽生えるようになりました。

もう一つ、資本主義における自由競争、株式市場におけるトレーダビリィ(取引可能性)と株主価値最大化に向けた経営の責任という難題に向き合う結果、企業はお金で売買が可能なものであることがより際立ってしまっています。

ここ数年、日本でも東芝という名門企業をめぐって、様々な混乱が生じています。アクティビストが物をいい、外資系ファンドが買収に名乗りを挙げ、経済産業省など政府が暗躍し、政府系ファンドや日本由来のファンド、日本企業など日の丸軍団が東芝買収に手を挙げています。

なぜ、単なる一企業にこれだけ政府が関わり、日の丸連合が必要になったのか。

それは、東芝という企業が日本の国家戦略上、国家アセット上、重要性が高いビジネスを行っているからでしょう。エネルギー、半導体、IT、通信、どれをとっても、現代においては国家の経済力および競争力を構成する重要な要素になっています。

民営化の名の下に、あらゆる産業の担い手を民間会社にした結果、大企業はコングロマリッド化し、公平性を期すために一つの領域に複数の企業を誕生させることになりました。それが日立であり、NECであり、富士通であったりするわけです。時に、自由競争が過当競争を生み、結果的に企業の投資を抑制し競争力を削いでしまうこともあります

コングロマリッド企業になると、中には国家戦略上重要性が低い事業も含まれるようになります。その企業が、資本主義のルールの本、株式市場という公的な場で、株主への流動性と価値向上機会を提供する必要があるという状況に陥っているわけです。

さて、果たして民営化した結果、日本の産業競争力は高まったのでしょうか。日本のインフラ産業は新しい未来に向かって、競争力を有した状況なのでしょうか。

日本のインフラの今

コロナ以降、海外旅行は著しく制限され、おそらく海外に頻繁にいく方は日本人口の中でもごく一部になっているかもしれません。だからこそ、米国や中国など、ITを積極的に活用し、新しいインフラの導入を一気に進めている国の実態を理解していないのかもしれません。

EVの浸透率、キャッシュレス 決済、クリーンテック、等々。もちろん日本でもそれらのインフラは使えますが、問題はその浸透度とスピードです。あと5年もすれば、もっと大きな差になることは明確なスピードの差が今存在しています。

民営化を推し進め、産業インフラのアップデートの担い手を民間企業に任せ、国家は政策で後押しするだけ。結果的には、国家資本が有効に使えず、国家も企業体を主体的に担う立場でなくなったことから、現場感が失われ、公平性を担保しなければいけないという制約も相まって、的を得ない政策を実行しやすい構造に陥っているように思います。

巨大IT企業と国家の関係性

東芝のケースで民間企業の問題点を一つ触れましたが、もう一つ昨今話題に上るのが巨大IT企業と国家の関係性です。それは、巨大IT企業が力を持ち過ぎたため、開発力、資本力も国家を凌駕する規模になってきています。さらには、ITインフラがアセットに組まなくつながり、そのITインフラを掌握することで、情報セキュリティ、国家安保、個人情報、メディアといった旧来国家が担っていたはずの機能を巨大IT企業がサービス提供する時代がやってきています。

そうすると各企業のグローバル化は大きな衝突を生みます。国家のインフラを担う企業が外国籍であると都合が悪いのです。したがって、競争法や安全法など色々と理由をつけて、巨大IT企業と国家の鍔迫り合いが続いているのです。

持続可能性を実現する困難さ

随分前になりますが、「持続可能な社会を目指すことは企業価値向上と矛盾せず、両立可能である」というnoteを投稿させてもらいました。ここで書いていることも、著書「サステナブル資本主義」で書いていることも、その通りに思っています。ただ、一方で実際ビジネスで経営を行っている大部分の方々が、この両立の難しさに直面していることも事実です。

社会を目指すべき方向性に導くには、一定のインフラが必要になります。太陽光パネルのように助成金を出して行うのも一つの選択肢ですが、それが最適解であるのかは、常に他の選択肢と比較して考える必要があります。

一定のインフラが整ってくると、それを前提に新しいビジネスが花開く環境になり、持続可能性とビジネスの両立がより容易になっていきます。

今、これだけ情報化社会になっているのは、インターネットという情報通視認フラが整備されているからこそであり、この整備には国家資本が大きく関わっています。このケースではNTTグループがその担い手です。

全てを国有化する必要はないのですが、国家資本を活用して一定のインフラを整備することで、その上のアプリケーションが有効かつスピーディに機能することは十分に想定されるということです。

今の時代だかこそ国営企業が果たせる役割は?

今、世界中で急速に整備されているインフラがいくつか存在します。代表的な物を3つ挙げてみましょう。

1)クリーンエネルギー
2)電気自動車
3)フィンテック

クリーンエネルギーの発電量がどれだけ増えるかによって、脱炭素やそれを取り巻く産業におけるリーダーシップが取れるかは大きく左右されます。そして、クリーンエネルギーを前提としたインフラ整備もどれだけ発電量があるかで、大きく左右されていきます。

電気自動車も同じです。スーパーチャージャーをコストをかけてゆっくり整備していくのか、「もう当たり前、これがないと誰もきてくれない」と自動車社会における駐車場と同じように必須インフラとなれば、一気にそこへの設備投資が加速します。

フィンテックも同じです。店舗や現金に依存したインフラが残れば残るほど、新しい金融サービスの浸透が遅れます。古いものと新しい物を共存させるコストは甚大です。それこそ無駄であり、サステナブル社会の理念と矛盾するとも言えます。

これらの普及を民間に委ねている結果、何が起きているでしょうか。世界各国と比較して、大昔は世界有数のインフラを有していた日本も徐々に見る影がなくなってはいないでしょうか。

そして、これらの分野には共通した特徴があります。あまりにも重要性が高いため、国家安保、セキュリティ等に深く関連しているため、外国資本の企業に依存することが極めて難しいのです。

さて、これらの企業をスタートアップがゼロイチで担うことができるか。そのチャレンジは並行して行われていますが、なかなか難しいというのも事実です。サービスやアプリケーション層まで国家資本が介入するのは得策ではないにしても、基本的なインフラ整備に国家資本をどのように活用するか

その一案として、もう時代遅れ、不要の産物と言われた、国家資本を活用した国営企業が新しくその役割を担える可能性はないのでしょうか。

小さな国家を標榜しながらも、政府で何かできることはないか。常にその最前線に立っているのは「お金」です。お金をばらまくことにとどめて、実際の国営企業のような振る舞いはすべきではない。その結果、助成金、飢饉、国営ファンドなど、多様な方法でお金をばらまく手段が開発されています。

さて、お金をばらまくだけで結果が出るでしょうか。お金を有効に使うには、戦略が必要です。一気に、国家産業として競争力を有したいのであれば、どの土壌を整備するところまでは、国営企業が担うような「新しいお金の使い方」は果たして存在しないのでしょうか?

もうすでに、政府に情報化社会におけるビジネスを推進する力は、戦後のXX省の時代と比べて著しく低下していることでしょう。それでも、国営企業を過去の産物として選択肢から外すよりも、お金だけを配って経験不足の若者に委ねるだけよりも、よほど良い選択肢が見つかるかもしれません。

そんな可能性も期待しながら、ややぶっ飛んだアイデアですが、今日は皆様のご意見が聞いてみたくて投稿します。是非、いいねやコメント、拡散などお願いできれば投稿した甲斐があります。よろしくお願いいたします。

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